県道60号線から見た井川ダム、正式名称井川五郎ダムの巨大な姿です。昭和32年(1957)の竣工当時は中部電力管轄内で最大の規模を誇ったといい、堤高103.6メートル、堤頂高243メートルを測ります。
以前に見て渡った長島ダムが、最新の技術を投入して平成13年に竣工し、堤高109メートル、堤頂高308メートルを測りますから、それよりも40年以上前に造られたこの井川ダムが、どれだけの大工事であったかが分かります。このダムを含む大井川流域の治水電源開発事業によって、当時の電力需要にも対応出来、国内有数の暴れ川と恐れられた大井川の水害が劇的に減ったのですから、国策として膨大な費用と資材と労働力を投入した甲斐はあったのでした。
ダムは何度見ても見飽きません。私自身、こうした巨大構造物や産業遺産の類を見るのは好きなので、廃線跡もダムも同じような視線でとらえてその意義や歴史的価値について考えたりします。
原作コミック第11巻31ページの扉絵のアングルであるのもいいですね。この道を志摩リンと土岐綾乃がそれぞれの愛車で駈けていったわけです。
作中で志摩リンと土岐綾乃がそのまま畑薙へと走って行った県道60号線は、今日の私にとっては井川駅までのラスト区間でした。150メートルほどの距離でしたからゆっくり歩きました。井川石油からのコースの予想タイムよりも実際の所要タイムが短かったため、そのまま行くと井川駅に予定より50分も早く着いてしまう見込みでした。
まもなく井川駅が見えてきました。あのバス停から11時15分に自主運行バスに乗って出発し、同じバス停前に戻ってきたのが14時1分でした。井川エリアの聖地巡礼コースに2時間46分を要したわけですが、計画では約3時間半と見積もっていましたから、かなり短縮出来た計算になります。が、観光マップに記されるルートの所要時間がもともと長めに設定されているようなので、短縮したという実感はわきませんでした。
井川駅の駅舎です。昭和34年(1959)8月1日に開業して以来のままの建物だそうです。私よりも年上なのか・・・。
まだ帰りの列車は来ていませんでした。その時刻までまだ40分以上もありましたから当然でした。駅のホームは御覧のように左にカーブする珍しい形式で、しかも上図の手前で堂平駅までの貨物線が分離して右へ続くため、ホームが分断されている状態です。
なので、安全のために、他の駅と違って列車の発着時間帯以外はホームへの立ち入りが禁止されています。だから駅舎内の待合室の窓から見える上図の範囲を眺めるしかありませんでした。
鉄道むすめの「井川ちしろ」です。井川駅の井川、アプトいちしろ駅のちしろ、が名前の由来です。大井川鉄道の女性車掌または職員の制服姿なのでしょうが、実際にその姿の女性職員さんを見かけたことはありません・・・。
井川駅の待合室の中央には石油ストーブが灯されていて、時とともに冷えこんできた谷間の駅の建物内を暖めていました。11月とはいえ、奥静の奥地ですから冷え込みがかなりのレベルになっていて、とにかく寒かったからです。40分余りの待機時間にあっては、このストーブが本当に有り難かったです。
よし、遅い弁当にしよう、とお握りや飲み物を出して、ストーブの近くでゆっくりと味わいました。まもなく入ってきた登山客らしき方も同じように弁当を食べていて、しばらく雑談をしました。相手は南アルプス縦走のための下見登山に行ってきたとかで、畑薙も通ってきたと語りました。それで畑薙の様子を色々と教えてもらっているうちに、40分が過ぎてゆきました。 (続く)