井川駅の待合室にてストーブにあたりつつ、登山客らしき方と雑談していると、急に外から列車の走行音が響いてきました。時計を見ると14時22分でした。千頭を12時29分に発した列車が、3分遅れで到着したのでした。最後尾に機関車がついていたので、井川行きはみんな同じように機関車が後ろから押しているのだな、と思いました。
列車がホームに停まりました。これが折り返して14時50分に発車するので、これに乗って帰る予定でした。あと27分ですが、改札口は直前5分より開かれるので、それまで待合室でストーブにあたっていました。
発車時刻の10分前ぐらいに、機関車の前照灯がパッと点きました。帰りは機関車が先頭になるので、今度は引っ張ってゆくわけです。運転士らしき方が車輪周りをライトで照らしつつ回っていたのは、点検であったのでしょう。車掌らしき方が客車の外回りを確かめたりしていて、運行前の安全チェックがなされているようでした。
今までの写真は望遠モードで撮影していたので、上図が待合室の窓から実際に見た景色になります。駅舎とホームは、間に堂平駅までの貨物線が通っているので分断されており、約10メートルほど離れています。
発車時刻の5分前になりました。改札口を通ってホームに向かう際に貨物線の踏切を渡りました。その時に千頭方向のトンネルを見ました。谷間に位置する駅なので、両側の線路はいずれもトンネルを掘って通しています。トンネル内の赤信号がなにか印象的でした。
ホームの方向を撮りました。乗客は私の他に5人のみでした。
堂平駅までの貨物線もこのようにトンネルをくぐりますが、現在は線路のレールがトンネルの向こう、廃線小径側で一部外されています。現在はこのトンネルは車庫代わりに使われているそうで、時々予備の列車をトンネル内に駐機させたりしているそうです。だからこちらのトンネル口は廃線小径側のようにシャッターを設けていないわけか、と納得しました。
再び、駅舎と千頭方向のトンネルを撮りました。というより、この図は駅舎とホームとの分断状況を捉えるべく撮ったものです。トンネルの手前で分岐している線路は、右がホームへ、左が貨物線へと続きます。左の貨物線が駅舎とホームの間を通っていますので、上図手前の踏切があるわけです。あまり類例を見ない、変わったレイアウトの駅であるそうです。
待機中の列車の機関車は、「湖上駅」と記された八角形のヘッドマークを付けていました。井川線の人気スポットをマークにしているのですね。
御覧のとおり、機関車はDD20形の2号車です。昭和57年(1982)に導入された井川線の主力機関車です。駅の待合室にあった案内情報によると、全部で6両が運行中で、それぞれ車体に「IKAWA」「ROTHORN」「BRIENZ」「SUMATA」「AKAISHI」「HIJIRI」の名前がついています。今回の機関車は「IKAWA」でした。井川ですね。
ちなみに「SUMATA」は寸又峡の寸又、「AKAISHI」は赤石山脈の赤石、「HIJIRI」は赤石山脈西側稜線の聖岳の聖だとわかりますが、あとの二つが分かりませんでした。
ですが、待合室でストーブにあたりつつ雑談をしていた登山客の方が鉄道ファンで井川線の常連でもあるらしく、たまたま同じ客車に乗ったのでその後も色々と話をしましたが、大井川鉄道の車輌の話題になったときに6両のDD20形の名前についても語ってくれました。
それによれば「ROTHORN」はローストホルンで、スイスにある標高2350メートルの高山です。そして「BRIENZ」はブリエンツ、ロートホルンの麓に位置するブリエンツ湖畔の街の名です。このブリエンツからローストホルンまでを専用の蒸気機関車を用いたアプト式登山鉄道(ブリエンツ・ロートホルン鉄道)が走っているため、アプト式鉄道つながりでこちらの機関車の名前になっているのだ、ということでした。さらに井川線のアプト式列車の赤いデザインも、あちらのアプト式登山鉄道のそれに倣っているのだそうです。
ブリエンツ・ロートホルン鉄道の公式サイトはこちら。大井川鉄道とブリエンツ・ロートホルン鉄道の姉妹鉄道協定および交流記事はこちら。
今回乗った客車は機関車の次の一番客車でした。なんとなく流れで乗り込んだのですが、あとから登山客の方も乗ってきて、「帰りはいつもこの一両目に乗るんだ、アプト式機関車の連結と切り離しの作業を窓から間近に見られるからね」と鉄道ファンらしい楽しげな語り口で話してきました。
なるほど、ゆるキャンでいう「ブッピガン」を近くで見られるわけか、と納得しました。 (続く)