気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

初秋の京都御苑7 建礼門と有栖川宮邸跡

2022年05月06日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 建春門から御所の南側へ回り、正門たる建礼門から南へ通じる広い道を見ました。道の奥の突き当りに、九條邸跡の敷地があって九條池や厳島神社へ通じています。

 この日は珍しく人が少なく、広い大路が余計に広く感じられました。コロナ禍下とはいえ、初秋の観光シーズン始動期でさえ人影をあまり見ないのですから、京都御苑への観光客が少ないとよく言われるのが納得出来ます。
 そういえば、京都観光のガイドや雑誌類でも京都御苑はあまり取り上げられていませんし、京都ファン達の京都観光ブログやインスタグラムでも京都御苑関連の記事や画像はあまり挙げられていません。皇室および公家のエリアであったために遠慮されているのかもしれませんが、国の管轄下にある国民公園、という特殊な性格の施設であることも影響しているのでしょう。京都市民でも大半は縁が無いままと聞きます。
 私自身も京都には縁が深いのですが、京都御苑に行ったのは今回で2度目に過ぎません。それだけに、散策も楽しめて色々と学べます。ある意味穴場だな、と思います。

 

 さて、建礼門前に立って三方を眺めました。上図は東の仙洞御所方面を見たところで、仙洞御所の築地塀が見えます。この写真を撮影している時に、また皇宮警察の黒いパトカーが通り過ぎていきました。今度は明らかに私のほうを見ていて少しスピードを落としたようにも見えました。
 おそらく、さっきからずっと御所の周囲をうろついている不審な人物、と思われたのかもしれません。私のような超のつく地味な男が目立ってしまうぐらいに、この日の御所周辺には人影がありませんでした。

 

 さて、建礼門です。京都御所の南の正門にして最高の格式をもつ門です。天皇皇后両陛下および外国元首級のみが通ることが出来ます。なので、京都御所の一般参観時にも開門されることはありません。だから、その開門姿を見られるのはよっぽどの幸運でしょう。

 そういえば、今上陛下の即位にともなう関連儀式が京都で催されていたかどうかは知りませんが、即位儀式の際に宣言を行なった「高御座(たかみくら)」と「御帳台(みちょうだい)」の移送および一般公開があったと嫁さんに聞きました。そのときも建礼門は閉じられたままだったそうです。

 

 建礼門は、檜皮葺、切妻屋根の四脚門で樫材で造られます。その構造は平安宮内裏外郭の建礼門のそれを継承しています。平安期には門外の東西に仗舎を設け、舎前に炬火を焼き、左右の兵衛がこれを警固しましたが、現在は同じように皇宮警察が警固しています。

 

 この建礼門にも立派な彫刻意匠が施されています。建春門のときと同じように双眼鏡で鑑賞しました。柱上に渡される化粧梁の上に蟇股があり、御覧のように全体に彫刻がなされています。花鳥風月や神仙霊獣などがそれぞれ向き合うようなデザインで配置されています。
 それぞれに素晴らしい作域を示しており、当時の超一級の宮大工があたったことがうかがえます。じっと見学していたかったのですが、監視カメラがずっと睨んでいるエリアでもあり、また皇宮警察の黒パトカーが接近中でしたので、一礼して門前から静かに下がりました。

 

 禁裏の正門ですから、私のような一般庶民が長い間ウロウロしていたらマズイのですね。はたから見たら不審人物そのものでしょうね。戦前なら不敬罪で逮捕連行されていたかもしれません。

 

 かなり南へ遠ざかりました。と言ってもまだ100メートルも離れていませんが・・・。

 

 その右手、東側には有栖川宮邸跡がありました。有栖川宮(ありすがわのみや)は、江戸時代初期から大正時代にかけて存在した宮家で、伏見宮、桂宮、閑院宮とならぶ世襲親王家の一つでした。その断絶後、祭祀および財産は、大正天皇の特旨によって光宮宣仁親王(昭和天皇の弟)に引き継がれ、宣仁親王には有栖川宮の旧称である「高松宮」の宮号が与えられました。それで一般には高松宮殿下と呼ばれて親しまれたわけです。

 

 付近にあった京都御苑の江戸期の図をみると、当地が御所の南、大宮仙洞御所の西を占める一等地にあたることが分かりますが、この位置に有栖川宮家が屋敷を構えたのは明治期からです。江戸期は御所の北東の猿ヶ辻の位置に屋敷地がありましたが、御所の東への拡張にともなって召し上げとなり、代わりに現在地を下賜されました。

 ですが、ここに屋敷が存在したのは3年だけで、明治五年(1872)に既に東京に移っていた明治天皇からの呼び寄せにより、当時の有栖川宮幟仁親王も東京へ転住しました。宮邸の土地家屋は京都府を経て司法省に引き継がれ、裁判所として使用されたといいます。
 当時の建物の一部が、現在は京都御苑の西、下立売御門の向かいにある平安女学院大学に移築され、「有栖館」と称して国の登録文化財に指定され保存されています。京都の春秋の特別公開シーズンに一般公開されることもあるそうですので、今後機会があれば見に行こうと思います。

 

 有栖川宮邸跡の南路地へ回り、そのまま東へ進みました。大宮御所の正門と築地塀が道の突き当りに見えました。  (続く)

 

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