天龍寺大方丈の本尊像についての課題がいちおう決着したので、廻縁を西側へ回って、何とはなしに暫く曹源池のほうを眺めた。
こちらは相変わらず観光客で賑わっていて、大半の目的がこの曹源池を含めた庭園の鑑賞見物であることが容易に見て取れた。
西の嵐山、北西の小倉山を背景および借景としてその紅葉も庭園景観の一部に取り込んでの景色が、嵐山地区の美しい景色として今も昔も人気を集めている。
この日は平日なのに、けっこうな人出であった。紅葉を撮影するカメラの列もあちこちに見られ、場所によっては拝観通路を塞いでしまっている人々もみられた。駅ホームを占拠し列車の通行をも妨害しかねない撮り鉄と、本質的には変わりがなかった。自身の撮影のためには、周りのことなどどうでも良い人たちが、古社寺のなかでも増えてきた気がする。
さて、もう一つの目的を果たすために、法堂の前庭に移動してそこから駐車場の中を東へ向かって進んだ。法堂より東は、いまは失われて消えた伽藍の遺跡の範囲となるが、そのことは寺の案内ガイドや説明板にも一切述べられていない。いまの広い境内地の大半が創建伽藍の範囲であることを考えると、歴史的な説明や解説の類にも創建伽藍の案内が見られないのはある意味不思議である。
天龍寺の境内地の紅葉は、実は法堂前の駐車場付近のそれが最も深い彩りと重なりを見せて見応えがある。一般観光客が通る参道筋から南に外れた所にあるので、駐車場の利用客以外は、あまり回って見物に来る人も少なく、穴場とも言える。その穴場が、歴史的には消えた伽藍の遺跡に重なるので、個人的には自然と歴史の交わりのロマンすらも感じられて楽しいものであった。
それで、なんとなく紅葉の下にもぐって、しばらく見上げていた。林間を吹き抜ける風の冷たさも、紅葉の下で感じると心地よいぐらいになってくるのであった。
北側の参道筋のほうは、やや色あせてきている感じであった。その範囲を大勢の観光客が通り過ぎてゆく。
対して南側の伽藍中軸線上の、かつての仏殿の遺跡のうえでは、鮮やかな紅葉の色が広がっていた。天龍寺の創建伽藍の半分が遺跡となっている範囲にあたるので、法堂から中軸線をきっちり東へたどって仏殿跡に行けば、このような見事な秋景色を満喫できる。周囲に人が居なかったので、ほぼ貸し切り状態であった。
この紅葉の下を東へ抜けると、本来の伽藍中軸線の参道の痕跡が東の放生池の石橋まで続いて見え、その奥には勅使門が望まれた。勅門は、創建伽藍の山門の位置を踏襲して建てられているように見えたが、古絵図資料と照合してみると、実際にそのようであった。 (続く)