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「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

京都鉄道博物館4 EF66形とDD51形

2025年02月23日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 京都鉄道博物館本館一階の展示の続きです。台車の次に嫁さんが「あれ!あれ見ましょう、て言うか近くでみたいです!」と指さした先に、上図の青い車体の機関車が見えました。

 

 これまた懐かしい・・・、昭和の貨物列車牽引の花形であったEF66形電気機関車ですな・・・。子供の頃に鉄道の図鑑とか読むと、貨物列車の先頭の機関車がたいていこのEF66形でしたね・・・。デザイン的にもカッコ良いですし、ブルートレインの牽引機としても活躍していましたから、中学や高校の頃に東海道線とかの電車に乗ったりすると、窓から普通によく見かけました。

 

 EF66形電気機関車は、日本国有鉄道が1968年から1974年まで、そして日本貨物鉄道(JR貨物)が1989年から1991年まで製造した直流電気機関車の一種です。名神・東名高速道路の整備によるトラック輸送の拡大化に対抗すべく、魚介類などの生鮮品輸送を中心とした貨物列車の高速化が計画され、東海道・山陽本線における最高速度100キロ以上での高速貨物列車専用機として開発、89輌が製造されました。

 このEF66形の実際の最高速度は110キロをマークしましたので、それが規定値となって、現在も日本の電気機関車の最高速度として定められています。
 現時点の直流電気機関車の最新型にあたるEH200形が、現在使用されている電気機関車の中で最大級のパワーを誇りながらも最高運転速度は95キロにとどまっているのを考えると、昭和43年の時点で110キロ運転を実現したEF66形の凄さと先進性がよく理解出来ます。

 

 ここの展示車は、1973年から1974年までに川崎重工業で製造された2次車の35輌のうちの唯一の現存車にあたる35号機です。いま車体が完存している保存展示車は、35号機のほかには埼玉県の鉄道博物館の1次車の11号機しかありませんから、貴重な車輌であることは間違いありません。

 嫁さんが首をかしげつつ「そういえば、この前、嵐山からのトロッコ列車に乗りましたでしょ、あのときトロッコ嵯峨駅の模型ジオラマ見たじゃないですか、あれの館内に機関車のカットモデルが2つ並んでましたでしょ、あれもEF66形じゃなかったですか?」と言いました。
 流石に記憶力抜群なモケジョさんです。確かにトロッコ嵯峨駅の模型ジオラマ館内にはEF66形の45号機と49号機のそれぞれの先頭運転台部分のカットモデルがあります。

 同じ49号機のカットモデルが、確か木津のパン屋さんにもあると聞いたことあるな、と話したら「えええ?パン屋さんに?なんでパン屋さんにEF66形のカットモデルがあるんです?」と訊かれました。私も現地のパン屋さんは前を通った事があるだけで中は知らない、と返したら「じゃあ機会を見て木津へ行きましょ」と言われました。
 いまは嫁さんも鉄道模型Nゲージに熱中してて鉄道にも関心を持っていますから、いずれ行くことになるだろうな、と思いました。
 そのパン屋さん、JR木津駅近くの国道24号線沿いの「パン オ セーグル」の公式サイトはこちら

 

 ここの35号機は下に見学用通路を設けてあり、整備工場の点検整備作業時と同じ視点にて機関車の底部を見られるようになっています。上図は台車のDT133の駆動部です。

 嫁さんが「すごーい、中に色々メカがぎっしり詰まってそう、110キロの高速をこれでたたき出してたんですよねー」と興奮気味に見上げ、スマホであちこち撮っていました。もう完全にテツですな・・・。

 

 EF66形35号機の隣には、上図の赤いディーゼル機関車があります。これも嫁さんが指差して「あれ!あれも見たい、トミックスのあれ、近くでみたいです!とテンション上がりまくりでした。

 

 日本のディーゼル機関車の代名詞格として有名なDD51形です。近畿地方では山陰本線や播但線、草津線などで活躍、山陰本線では寝台特急「出雲」なども牽引した機関車です。

 つまりはDD54形とならぶ山陰線のディーゼル機関車の主力機であったわけで、嫁さんがNゲージにハマり出して「山陰線ジオラマ計画」なるジオラマ製作にとりかかった時に、マイクロエースのDD54形に続けてトミックスのDD51形を購入していましたが、そのナンバーはズバリの756号機、つまりはこの実物のNゲージ化製品です。
 それで見学時にも何度か「トミックスのー」と嬉しそうに連呼していました。

 

 DD51形は、日本国有鉄道が1962年から1978年にかけて製造した液体式ディーゼル機関車の一種です。649輌が製造され、全国各地の主要路線や近郊線区に投入されて活躍、現在もJR西日本に数輌が健在で、大半は兵庫県の網干総合車両所の所属となっています。

 ここの756号機は、主に九州地区や甲信越地区の路線で活躍、最終所属は門司機関区、2014年に廃車となって吹田機関区で保管され、2015年に梅小路蒸気機関車館に展示、2016年から京都鉄道博物館に収容されています。嫁さんが展示説明板の履歴を食い入るように読んでいましたが、山陰線のさの字も無かったので、ちょっとガッカリしていました。

 嫁さんは丹波園部の出身で、小学生の頃からは亀岡市に住み、最寄りの駅が山陰線の並河駅でした。その並河駅の旧駅舎跡地に鉄道歴史公園があり、そこにDD51形の1040号機が静態保存されています。その1040号機が、嫁さんが子供の頃から知っている機関車なので、山陰線といえばDD51形、という基本認識があるわけです。

 その1040号機は、山陰線で活躍し、1994年に廃車となった時も米子運転所所属のままでしたから、京都までの山陰線を往復し続けていたことになります。並河駅にて保存されることになったのも、その縁からであったのでしょう。

 

 この機関車も、さきのEF66形と同じように下に見学用通路を設けてあり、整備工場の点検整備作業時と同じ視点にて機関車の底部を見られるようになっています。

 

 DD51形の台車を下から見上げました。台車は3組あって、両側が動力台車のDT113B、中間が無動力台車 のTR106であるそうです。 

 

 嫁さんが「こういう台車の仕組みってよく分かりませんけど、でも、見てるだけで凄いメカだなー、って感じさせられますよね」と言いました。

 確かに世界中の鉄道車輌のなかで、技術史的にも抜きん出ているのが日本製だと聞きます。現在でも各国の鉄道車輌の台車のみは、大半が日本に発注されていると聞きます。他国には造れないレベルの、凄いメカであるのは間違いないでしょう。

 

 近くには上図のインテリア表示模型もありました。模型が趣味のモケジョである嫁さんにはたまらない展示品です。案の定、ケースにスーッと吸い寄せられていき、コバンザメみたいにピタッと貼りついたまま、5分ぐらい動きませんでした。

 

「ねえ、このエンジンもドイツのマイバッハの系列ですかね?」
「違うやろ、これは日本製やろう、マイバッハ系列は、あれはDD54形のみの特殊な仕様のエンジンやね」

 横の説明板によれば、エンジンはDML61Z形とあります。日本のディーゼル機関車に搭載されたエンジンは、型番がディーゼルのDから付けられてDMの大分類コードから始まります。次のLはアルファベットの12番目なので12気筒を意味し、61の数字は排気量を現します。61リッターということです。最後のZは、インタークーラーおよび加給機付きであることを示します。
 つまり、12気筒61リッターのインタークーラーおよび加給機付きディーゼルエンジンである、ということです。  (続く)

 


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