作者、またしても自分で描いておきながら、
ジョージさんのセリフに対して、
「(作者の画力の問題以外にも)直接的に訴えられないから、文を付けているのに、
それでも言いたい事が見る人に伝わってんのかどうか?」
― なんて思ってしまっていたのでした。
宗教画が何を目的に描かれたのか自体は、昔は識字率も低かったでしょうし、
ジョージさんの言っている事でほぼ正解なのでしょう。
「古代の人々が、このような想像を絶する苦しみに耐え、勝利したのだから、
私達も日々の様々な苦しみを、修身して、神に祈り、
乗り越えて行こう。」
― と思わせる効果もあったのでしょう。
でも、クリスチャンではない人には、ハリソンさんの言っている事も、
「全くその通りだ !」
― といった所ではないのでしょうか?
ついでに「残虐の報い」というのは、
「小っちゃな頃から悪ガキ」(←チェッカーズの歌詞かよ?)だった男性が、
最後には悲惨な処刑で生涯を終えるという話で、
ウィリアム・ホガース(1697-1764)作の連作版画です。
ハリソンさんの言っているのは、その処刑シーンを描いた
ショッキングな一枚の事です。
ついでながらホガースさんは、「トリストラム・シャンディ」の挿絵も描いています。
聖人の殉教図は、迫害した異教徒への憎悪を煽っていた事も
あったではないのでしょうか?
そして昨日の話のように、性的充足のために使用されていたのも事実のようです。
まだ20代の頃、作者が居住地域の図書館に来ていた時に、
高校生くらいの男の子2人が、
「聖書ってエロイぜ!」
― って館内で言っていたのを聞いた事があります。
書かれてから今まで、約二世紀半、
「トリストラム・シャンディ」は「卑猥の書」と呼ばれ、
「性文学」のカテゴリーへと入れられ、貶められていた事もあるようなのですが、
かの「聖書」でさえも、読む人によっては
「猥褻な物語の宝庫」
― と化してしまうのです。
結局、書(描)く人の意図よりも、読む人達側の意図によって、
何を訴えたいのかが決められてしまう物なのでしょうか?
ふふっ!またまたジョージさん、優等生的答え方ね。
図書館には、実は公共施設に置いておくにしては、
とてつもなくエロい内容の本が、探せばザックザクあるぜ!
またそういう話へと持って行く訳ぇ~?
まあ、話させて下さいよ。ママン。
俺が行く図書館に、18世紀の作品では「ファニー・ヒル」があった。
購入の時、どうやって「選」に入ったんだろう?
あ、それ私も知ってる、新刊書の棚にあって、
少女小説みたいなキレイでカワイイカバー絵なのに、
中をチラッと見たら全然違うんで、借りるのやめた事がある~。
パンダニムスとウサニマは、
「本も見かけにはよらない事もある」という話をしとるのかの~?
次週は、この物語の今後の展開にとっては結構重要な、
ウォルポールさんの個人情報公開。
― っていうか、1・9・11ページの絵を気を付けてよーく見ると、
「ああ、そーだよねー。」
― って簡単に分ってしまう程度の事なのですが。
〈次回の更新予定は6月7・8日〉