中山道見て歩き旅に参加して木曽路を歩く。
塩尻駅から小型の地域バスに乗り
洗馬(せば)宿先の牧野原からスタートする。
本山宿は松本藩が尾張藩と接する南の境にあり口留(くちどめ)番所が設けられ米穀・塩・女の通行改めが行われ、特に米と情報を外に出さない「穀留」「口留」の役割が大きかったようだ。
関ヶ原の戦では開戦当日に徳川秀忠軍はまだここ本山に着陣していたそうだ。
また、14代将軍家茂に降嫁した皇女和宮の一行が宿泊した本山宿では、京方1万人、江戸方1万5千人、警護1万人、助郷人足3万人、馬2千匹、総勢8万人、通行は4日にわたり、夜は2千本の提灯の灯りで昼のようで人足・馬の仮小屋は次の洗馬宿まで続いたと言われている。「村人外出禁止」「男は家の片陰で慎み」「女は姿をみせてはならない」「商売禁止」「犬猫は鳴き声が聞こえぬ遠方に繋ぐ」「寺の鐘や水車などの鳴り物禁止」「火の用心」などなどのお触れが沿道に出された。
そば切り発祥の地とも言われていて折を見て食べてみたいものだ。
本陣、旅籠、馬頭観音、石碑などを見ながら「是より南 木曽路」の松本尾張両藩境に掛かる境橋のたもとにある東屋で昼食をとる。山道に入る旧中山道を歩き百瀬姓が多い桜沢では追いかけてきていただいた脇本陣のご主人に招じ入れられお宅に上がらせていただく。その先、片平橋の土木遺産を見学し片平からバスで塩尻駅に戻り5時間の中山道歩きを解散する。
写真は、境橋上の道路標識に掲げられた「是より南 木曽路」。