車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

リオ・パラリンピック

2016年09月05日 01時48分00秒 | 日記
いよいよ開催が迫ってきた。

メディアの取り上げ方もこれまでになく凄い。

先日も某民法キー局でパラリンピックの特集を1時間もやっていた。

それに卓球選手も出演していた。

もちろん僕も見た。

「勝負下着が・・・(笑)」

なんて話題もしていたけれど、個人的にあれはテレビ側からネタとして言わされたものだと思います。

でもそういう話題を快く受け入れ実演することのできるあの方が凄い。

僕は何度かご一緒させていただきましたけど、そういう余裕と言うか度量のある方だと思うので、だからこその出演であり、またネタの依頼だったのでしょう。



すると翌日、複数の友人(卓球関係者ではない)から連絡がきた。

「テレビで見たけど、〇〇さんってすごいね!」

という内容。

これこそが世間の反響そのものだと思う。



日本において障害者スポーツが今まさに注目を集めだした。

でもそれは卓球だけではない。

陸上も水泳も球技も様々な種目が同時にスポットを浴びている。

逆の見方をすれば、その様々な種目の選手が障害者アスリートとして同じ土俵に立たされることになるわけだ。

これはある意味逆境と言えるのかもしれない。



「車椅子だけどスポーツやってます」



というだけで「アスリート」と謳っていた人が、そう簡単には言えなくなるのだから。

アスリートと呼ばれる方々の日々の取り組みは健常者も障害者も関係ないレベルにあると思う。

それは身体を見れば一目瞭然。

障害があるから出来ません、なんて言い訳をするアスリートはそもそもいないと思うし。

出来ることを最大限にやるのがアスリート。

それは素人目でもすぐにわかる。

障害者健常者問わず、まずフィジカルが違う。



見た目で判断されるから嘘がつけない。

ごまかせない。



これから障害者スポーツ界は今までになくシビアなものになっていくのだと思う。

だからこそ逆に与えられる恩恵はより大きなものになるとも思う。



恩恵を得たいから頑張るのは不純。

でもそれを求めるのは人として自然。

それを妬むものまた自然なこと。

だけど何のためにやるのか?

努力するのか?

目標を誤ってはいけない。

他力本願は格好悪い。

自分自身が頑張る、それしかない。



日の丸を背負いリオで戦う選手たちも皆見えるところでも見えないところでも努力を重ねてきた方々ばかり。

そのみなさんの活躍を励みとして、僕もそれに少しでも近づけるように頑張ります。



まずは恥ずかしくない障害者スポーツ選手として頑張ります。