車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

身体障害者の可能性

2017年04月10日 23時33分42秒 | 日記
最近、心身ともに充実している。

なぜなら、卓球が楽しめているから。

障害者だから出来なくても仕方ないと気を使われるのではなく、1プレーヤーとして遠慮なく注意・指導をしてもらえるから。

打ち終わった時にハァハァと息切れするような指導、練習。

だからと言って甘やかされない。

出来なければ厳しく言われる。

だからこそ、誉められると尚のこと嬉しい。

そういう環境があることに、そういう協力を得られることに心底幸せを感じる。

実にありがたく思う。



そうしていると発想はさらに上を向いていく。

すると僕の思考は人類の歴史をさかのぼり始める(笑)



昔の人たちはテレビや電話や自動車や鉄道に飛行機、さらにはネット環境なんて想像することすらできなかっただろうな、と。

人が空を飛んで移動する?海を越えて動く絵を見ながら話が出来る?

昭和の高度経済成長期の婦人たちが乾燥機付きのドラム式洗濯機なんて理想にすら描けなかっただろうな、と。

でも人類はそれを実現してきた。

これからも人類は夢に見てきたことや絵空事、思いもつかなかったことまでをも実現させるはず。



そう、人類は不可能を可能に出来るのだ!



それを自分自身に当てはめてみる。

卓球に当てはめてみる(笑)



身体のこの機能は使えない、動かせない、だから出来ない?

いやいや、不可能は可能に出来るのだ!(笑)

僕には変な癖があります・・・修正するのは無理そうです・・・

いやいや、不可能は可能に出来るのだ!(笑)

筋力が足りないから出来ない?

それはただの言い訳です。

失った身体の機能は残存機能を鍛えることでリカバー出来ることも多々あるはず。

僕でも筋トレは立派にできます。



そう考えると何でも出来そうな気がしてくる。

直ぐに出来なくても頑張っていれば、努力を重ねていれば出来る日が来る気がしてくる。



卓球始めるまではこんな思考になれなかったかもしれない。

スポーツやって良かった。



どういうものであれ、人類史上初めてそれを作った人が、まず最初に企画しそれを誰かに話した時点では「そんなの無理だよ」と笑われたりしただろうし、もしかしたら聞いてももらえなかったかもしれない。

その時点では突拍子もない話であり、夢のまた夢のような話として聞き流されたことでしょう。

最初の一歩というのはきっとそういうものだ。

子供の頃図書館で読んだマンガ偉人伝みたいなものにはたいていそういうエピソードが書かれていたように思う。

障害者スポーツだからこそそういう話がリアルに響く。

きっと僕にも同じことが言えるはずだし出来るはず。

「出来っこないという奴らを黙らせろ」

人類の歴史は障害者スポーツにもそのまま当てはめることが出来る。

卓球でいえば、今は誰でも知っているチキータも最初にやった人は笑われながら練習していたのかもしれない。

ペンの裏面打法もそうだ。

全ては自分次第。

思想の健康は肉体の健康に勝る。

思想の健康が肉体の健康を生む。



だけど、そうした環境に身を置けるからとそこに満足していたのでは元も子もない。

周囲が成長させてくれるのではなく、あくまでも自分で成長していかなければならない。

全ては自分次第。

努力の向こう側にしか成功はおろかチャンスもない。

先人達が築いてくださった道筋は真摯に学ばせていただく。

でも自分が歩く道は必ずしも同じである必要はない。

これから切り開いていけばいい。

道を築きながら前進するのは大変なこと。

でもアスリートに限らず成功者はそのほとんどがそうしてきたはず。

二番煎じは二番煎じでしかない。



僕に正面から向かい合って協力・応援してくれる方々には本当に感謝です。

そういう方々のお力添えがあるからこそ、道なき道を進む勇気が湧いてきます。

そしてその判断を肯定してもらえる。応援してもらえる。

それがもの凄く楽しいのです。

来月からはまた海外遠征。

この楽しみを結果につなげられるよう努力していきます。