車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

世界に置いていかれない為に

2018年05月10日 08時06分15秒 | 日記
僕がよく人に言われるのは「卓球が素直」「いやらしさが無い」ということ。

よく言うと、常に真っ向勝負らしい。

悪く言えば、何も考えていないんじゃないか?となる。



じゃぁ、「いやらしい卓球」とは何だ?



よく「泥臭い」というのも耳にする。



それらの言葉の意味は理解できる。



具体的にどうすれば「いやらしい」「泥臭い」となるのかも、今では理解できるつもりでいる。



それが僕には極端に無いらしい。



「強い!」と思っても「いやらしさを感じない」そうだ。



じゃぁ、その「いやらしさ」「泥臭さ」を身につける為の練習をする?



答えは「No」(笑)



貴重な練習時間をその為に費やすのはもったいない。

あえていうけれど、「そんなこと」は結果的な戦術論に過ぎないと思うから。

それよりも、パワーと身体能力で相手を圧倒するような卓球を身につける方が良い。

僕はそういうプレーがしたい。

世界で戦うにはそれが必要不可欠。その方が最も効率的だと考えるから。



車椅子というのは常に台にピッタリとくっついてプレーするのでいわゆる「前陣」となる。

また、座った状態なので、言ってみれば背の低いプレーヤー、ジュニアの選手などと似た感じだと考える。

そうしたことから、僕は車椅子選手のお手本は健常者でいう「女子卓球」だと思っている。

その女子卓球も時代と共にどんどん進化している。

でもそれらは「いやらしさ」「泥臭さ」を目標とする進化ではないはず。

そもそも、石川佳純選手、伊藤美誠選手、平野美宇選手などが中国の選手と対戦して、相手から「いやらしさ」「泥臭さ」を感じるのだろうか?

また、国内でそれらトップ選手に挑む方々も、同様にそれらを感じるのだろうか?

僕は彼女達がそれ以上に感じるものは違うところにあるのだと思う。

いつか直接聞いてみるつもり(笑)



そして、その日本のトップ選手は今まさに女子卓球界の「モード」を生み出している。

世界の最先端を走り、ブームというか1つの新たなスタイルを築きつつあると思うのだ。

そんな彼女たちの頭の中には「パワー」「スピード」「テクニック」だけが指針となっていて、「いやらしい卓球」「泥臭い卓球」という文字は存在していないと思われる。



勝つためには時に「いやらしさ」「泥臭さ」も必要。

でも最初からそれをあてにしてプレーするのは僕の美学とはちょっと異なる。

日本男児としての、武士道精神と言ったら大げさだけど、「やぁやぁ!我こそは!」と、正々堂々正面から挑み、そして圧勝する。

カッコいいじゃないですか。

そういう姿勢にこそ神風は吹くものだ(笑)

いや、神風をあてにするのは他力本願、それはダメ(笑)



勝つために何をするのか、己をどう磨いていくのか。

「アスリート」と呼ばれる方々はまずフィジカルがもの凄い。

その上にテクニックがあり、さらにその上にメンタルが存在するのだと思う。

スポーツ界にはそういう基本的なピラミッドが存在し、そのすそ野をより大きくし、高さを上げて行こうと、より頑丈なものにしようと日々努力を重ねていく、それこそが「アスリート」だと思うのだ。



僕はそのような選手に憧れるし、そうなりたいと願う。

戦術論はまた別のメニューとなる。

勝つ為の戦術を練り、備えをし、それが結果的に「いやらしい」「泥臭い」ものになったとしても、僕はそれで良いと思う。

そういうプレーも出来る。

そうじゃないプレーも出来る。

そういう引き出しを多く持つ選手が本当に強い選手なのだから。

強い球があるから弱い球が生きる。

速い球があるから遅い球が効く。

弱く遅い球だけであの手この手を考えるのは、僕は好きじゃない。

強く速い球を打てる強い選手になる為には、自身のピラミッドをより大きなものにしていかなければならない。

海外の連中はみんなそうしている。

負けてられない。



例えはしくれでも、日の丸を背負う以上は、国を代表した人間として恥ずかしくないプレーを心掛ける。

「勝てばなんでも良い」ではない。

そこは日本人として、意識を高く持った選手でありたい。

日本のスポーツ選手にはそうした方々が大勢いたのだから。



さぁ、磨くぞ自分!

追い込め自分!