午後時々14/0℃
昭和30年後半前後の富山時代の旧同僚が数人首都圏に在住している。そのうちの一人A氏がPCが全く作動しないと聞いていたので12月23日だったと思うがA氏に電話しみたがPCはもうギブアップしたので昼食でもしようとのお誘いである。 A氏は富山時代の首都圏在住の人に声かけるとのことで官公庁の御用納めの12月26日(金)12時に東京駅で落合うことに決まった。(下画像は東京駅南側の歩道に再開発完成後の巨大な立て看板)
当日、A氏の他にK氏も集まった。東京駅八重洲の地下街の飲食店は昼食であい変らず混雑している。拙者を含めてこの3人好酒で酒量も強いのである。 席の空いている和食店に入っがこの時間帯ランチだけしかオーダー出来ないのでその前に再会をとビールで乾杯した。ところがであるランチはお菜のみ注文し焼酎のボトル(720mℓ)をとり酒宴となたのである。 会話は富山時代の事やその後の同僚の事などで話は尽きない。結局焼酎ボトル2本と+グラス焼酎アルファーで延々○X時間宴席は続き外へ出ると夜で拙者はどうして所沢へ帰ったのか記憶に無いのである。
翌朝、両兄に電話するとどうもまともに帰った様子ではないが、A兄が新年会をやろうではないかとの話になり“寒の入り”で仕事始めの1月5日(月)12時で場所は同じ東京駅である。
ご周知のように東京駅はJR6新幹線(秋田・山形ミニ新幹線含む)・JR在来の発着と営団・都営地下鉄が走る。 更に6年後にはフル規格の北陸新幹線が開通し金沢⇔東京を2時間30分余りで繋ぐ日本の大動脈の基幹駅で24間人々で混雑している。 言わばこの駅から人・物・金・情報や文化・・・が発信着していると云っても過言ではなかろう。 何しろ江戸幕府が政治・軍事目的で中央集権化のため五街道(東海・中仙道や甲州・日光・奥州道中)の基点として整備したのだ。 現在の中央集権化もこの近代交通網組織が続いているのだから地方への分散と言っても無理難題で実現は永久に無いと思う。
店を変えようとの事で東京駅南の丸の内へ出たが“東京駅丸の内駅舎”の再開発工事で店舗街は全て無しの状況だ。
創設当時と同じ3階建てのドーム形屋根に復元される東京駅丸の内駅舎(完成予想図)
仕方なく八重洲口に戻り地下中央口に昔よく利用した店があったのでその店にした。 この店は低廉で酒の肴は数が多い。 新年会はお互いに前回を反省したか不明だが2時間程度でお開きとしたが飲み物はお酒とした。
会話は3人共通の同僚や先輩・後輩の健康状態が中心となったが「酒が飲めなくなったら人生は・・・」と言いつつ時計を見たら予定の時間はとうに過ぎているではないか、どの位の量の酒を飲んだかは定かでは無いが料金的には大した金額ではなかったが所沢に帰ったのが20時を回っていた。
女房殿曰く相当ご酩酊だったとか、この3人のご内儀殿は皆元気で、3人集まればこのような酔態には驚きはしないだろうと思うが、つまりみんな悪者なのである。 一人は今年、後期高齢者群団に入るが、後の二人は群団入りに目白押しである。
この3人富山(呉西地区)時代よく仕事をし酒を飲み交わし、それぞれ転勤で別れても会えば酒を飲む足掛け45年の友人でであるがお互いに余命が読める年代、健康管理に留意しまた何時会えるか解らないが元気を願うばかりで最後までPPKでありたい。
※PPK=ピンピン生きて、ポックリ、コロリ(いつまでも元気で生き、病まずにポックリゆきたい思いを見事に表現しています。)
・久しぶりに血圧を測ってみた。 127/82mmHg/66bpm
・3907歩
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