健康自由メモ(高齢者の健康メモ)

高齢者の健康自由日記

摂津国一の谷(須磨浦公園)へお花見遠足

2012年04月11日 | 5.Weblog

17/12℃ 午後低気圧の通過で
先日の8日(日)は源平合戦“一の谷の戦い”で知られる須磨浦公園へ弁当持参で花見遠足に行った。阪神元町駅から当日は須磨浦公園駅は臨時停車していた。須磨浦公園は瀬戸内沿岸を走る国道2号線を数度通過したが初めて行く地である。 家を10時頃に出て電車に乗りながら「義経の逆落とし」など頭に描きながら、11時過ぎには着き駅改札口を出るとすぐで、桜はまだ5咲き程度だがブルーシートを敷いてお花見宴会をしている。

 2012年の大河ドラマ‟平清盛”が放映中だが源平合戦(1180~1985年)は日本初の日本の武家政治の、政権争いの内乱戦で清盛が神戸福原遷都(1180)した。 神戸には源平の戦いのほか清盛が宋交易にまつわる源平記の所が多くある。

 いったん平家は九州に都落ち延びたが兵を立て直し、須磨浦公園の地も平氏が遷都した摂津福原に戻り、播磨との国境に一ノ谷の城郭を構え攻めくる源氏に須磨浦の陸路の西街道と瀬戸内海路に備えた。 

 戦略に巧みな義経は鵯越え坂らか奇襲し平氏を混乱させ、範頼も攻防戦を繰り返し一ノ谷に追いつめ、4時間の激戦の末平氏を駆逐したと云われている。須磨浦海岸は何処見ても急激な山谷だが「義経の逆落としの場所は」と観光案内人訊くと須磨浦の人たちは「逆落とし」此処だと謂われる個所が3か所ほどありいずれも定かでないそうだ。馬は鹿と同じ足詰めだから山や谷の移動が可能だろうが、騎馬武者が1~2千騎も駆け降りたとは考えられないのであるが伝説だからそれらしき処であれば何処でもよいのだろう。ロープウエーに乗り見下ろした画像自分勝手に想像した画像である。

 ロープウエーに乗る前に近くに“敦盛塚”が有ったので立ち寄った。有森塚は1184年(寿永3年)2月7日に、当時16歳の平敦盛が、熊谷次郎直実によって首を討たれ、それを供養するためにこの五輪塔を建立したという伝承からこの五輪塔は敦盛塚と呼ばれるようになったとある。

 敦盛塚から家内がロープウエーの往復チケットを買っていたので乗り場に行ったが行列で約20分待ちで回転展望台へ向かった。

 



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4 コメント

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Unknown (wingtom)
2012-04-11 22:14:15
一ノ谷の戦いは知っています。
平家と神戸は切っても切れない関係ですね。
県知事さんが
怒っていたニュースも流れていましたね。
平家といえば雅と言う言葉が一番似合います。
間もなく
大河ドラマも雅な方向に向いてくると思います。

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源平、一ノ谷の戦い (Uchyan)
2012-04-12 10:06:53
子供の頃、源氏のヒーロー義経が一の谷で2000余の騎馬武者の逆落としの奇襲で平家軍を敗ったと聞きおぼえ、驚いていました。
 伝説だのですねー
でも、下馬して馬を手綱操れば逆落としは可能でしょう。平家も鵯越えをしてくると計算に入れてなく山側は無防備だったのかも知れません。
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Uchyanさん (wingtom)
2012-04-12 22:32:22

こんばんは
今日の桜は
ホワイトバランス太陽で撮影しています。
電球のぼんぼりが沢山付いているものですから
赤く出てきます。
夜桜を強調してみました。

http://youtu.be/VBT7IFzi9eA
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青葉の笛 (Uchyan)
2012-04-13 07:14:33
<wingtomさんへ>
お早うございます。
コメントのyoutubeのURL「青葉の歌」メロデイと歌詞、家内は知っていました。
 須磨浦公園へ行く前に口ずさんでいましたが歌の“題名”が判らないと言っていました。
平敦盛は笛の名手だったと何かの本で読んだことがあります。
有り難うございました。
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