7/3℃
引き続き今日も概ね晴れだが、昨日の金沢の雪は金沢在住のブロ友のサイトを開くと2~30cmくらいで朝から除雪作業だとか、この後降り続かなければよいが。
15年前平成7年1月17日、金沢でまだ薄暗い早朝寝床の中で強い地震で目が覚めたが当時の地震情報は遅く1時間ほど経ってから震源地は神戸の瀬戸内海でかなり強い地震だと報道された。 刻々と被害がニュースで報道されたが、長女家族が神戸にいる。 電話は全く通じなく安否の確認が出来ない。
会社へ出勤しても全く安否が確認出来ないが家内に電話すると民間の放送局でアナウンサーしている次女がが午前中に局のホットラインで無事が確認しているとのことで安堵したが、その日は終日仕事にならなかったのを記憶している。 地震発生1週間後、長女と孫は無事で生活ラインが壊滅した神戸から拙宅に避難して来た。
この地震の被害状況の内容情報は首相官邸にいる村山総理が知ったのは数時間後のことでその対処、対応が政府の指示が問題化した。 この直下型地震の都市災害地震(自然災害)の恐さを全国民が知り日頃の防災意識が高まり先進諸国より立ち遅れていたボランテァ意識も政府・地方自治体も危機管理体制を重視し充実した。
阪神震災の後、鳥取・新潟(中越地震2度)・能登輪島・宮城北部地震などがあり地方都市の農村だったので神戸のよう被害にはならなかったが災害時の犠牲は大半は高齢者で災害時には十分な対応が必要だが、体の動きが鈍いからどうにもならない。 阪神・淡路大地震の時の高齢者は既に80代、神戸の被災者復興住宅で住む高齢の一人暮らしの孤独死は昨年は62名でその半数以上が親族や近隣以外の外部の方の通報によるものだと報じているが、大都会生活の欠陥であろう。 その点、昨年10月に長女家族の家の近くに越してきた事に皆な賛同てくれる。 1月13日にはカリブ海タヒチの首都ポルトプランスを中心に200年に1度のマグネチュード7.0地震がありその死者は5万人以上を収容したとされ更に20万人は予測される状況とか、その救済に国際的な救済支援体制が急務とされている。
明日17日、阪神・淡路大震災15周年追悼式典に皇太子殿下夫妻・鳩山総理大臣が参列さられる。
※画像の一部はアサヒグラフ(2000/09廃刊)や金沢金石PC教室のT,Uさんが平成7年に震災後撮影した。
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