へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

「国民の期待に応える最後のチャンス」

2009年03月26日 02時59分06秒 | Weblog
民主党の幹部などが良く口にする言葉なのだが、「最後のチャンス」とは一体どう言うことなのであろうか?。
見る角度を変えて見る(へそ曲がり?)と、「今のように政治が混乱した時期以外では自分たちが実権を握る事ことが出来ない」と言うことになり、「ドサクサ紛れに」と言うことになりはしないだろうか?。
現実的に考えても、麻生内閣の支持率が極端に低下しているにもかかわらず「民主党の支持率はそれ程高くならない」上に、西松建設の献金事件が発覚する以前から、総理大臣の候補として「麻生・小沢、どちらもふさわしくない」と言う人が圧倒的に多いことからも解かるのではないだろうか?。
このようなことを書くと、民主党を支持する人は気分を害すかもしれないが、私は特別自民党を支持するつもりなど毛頭無く、「両者を比べたら自民党の方がまし」と言う程度のもので、正直な話「二つの悪のうち、より少ない悪を選ぶ悲しさ」と言った気分なのである。
昨日のブログで「政治が力ずくでも業界を誘導していく」と言う欧州の事情を書いたのだが、これは「政治家は指導者である」と言うことが国民全体に理解されているから出来ることで、日本ではとても無理な話である。
かつてある総理大臣に「風見鶏」と言う渾名をつけたことがあるのだが、このことを振り返って考えれば、風見鶏のような総理大臣が誕生するのは「国民全体が風見鶏だから」ではないだろうか?。
指導者とは「より良い方向を指し示して導く」から「指導者」と言うのだが、今の日本の政治のように「民意に翻弄されている」と言う状態ではとても指導者とは言えず、「風見鶏か蝙蝠?」と言うことになるのだが、これは政治家が悪いのではなく「そのような政治を許す国民の方が悪い」と言うことになりはしないだろうか・・・・。
私は「お世辞を言うのは嫌いだが、言われるのはもっと嫌い」なのであるが、何故嫌いかと言うと、「お世辞は下心があるから言う」と言うのが妥当であろうから、「必ず何か裏がある」と考えなくてはならないから嫌いなのである。
このことから考えると、民主党に限らず、麻生総理以外の与党の面々も、こぞって「有権者に媚び諂うような政策」を打ち出そうとしているが、「媚び諂う」と言うことは「お世辞を言う」と言う言葉と「同義語」でしかなく、「何か下心がある」と考えなくてはいけないのだが、更にもう一歩進んで考えて見ると、失言癖が有り、何かと批判の矢面に立たされ、尚且つ「空前の低支持率」と言う窮地に立たされながら、それでも執拗に「消費税増税」と言う問題から逃げようとしない麻生総理こそ「真?の指導者」と言えないだろうか・・・・。
「良薬は口に苦く、忠言は耳に逆う」と言うように、良い事(国民にとって良い事ではなく、『その時代にしなければならない』と言う意味だが)はなかなか受け入れ難いものだとは思うのだが・・・・。
コメント
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