へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

リハビリの問題点     追記をしておきます

2018年10月28日 23時10分55秒 | Weblog
今様々な病気や怪我で、体の機能が麻痺した人に対するリハビリが盛んになってきている。
NHKの放送でも取り上げているのだが、「患者の側の不満」ばかりが大きく取り上げられているように感じてならない。
けして、「患者が不満を言う」事が悪いと言うのではない。
五体満足な私が言うのはおかしいかもしれないが、「患者の側の不満」も良くわかるのだが、「破綻状態に近い医療財政」と言うことを考えると、これ以上のことを求めるのは「リハビリを施す側の負担」が大きくなり、医師や看護士、介護士などの健康にも問題が出て来るのではないだろうか?。
すでに、一般の医師や看護士の、過労による体調不良や自殺まで起きている。
そればかりではない、医療事故を恐れて「手術を断る」と言う医師まで出てきてるという。
このままで行くと「治療をして欲しくても医者がいない」と言うことにも成りかねない。
患者の側にも「応分の負担」が必要だと思うのだが・・・・。
医療が発達すればするほど、「高度な医療機器」と「高度な医療技術」「高価な薬」が必要になるが、「高度な医療機器=値段が高い=医療財政の圧迫」」と言う事と「治療期間も長くなる=医療財政の圧迫」と言うダブルパンチ、トリプルパンチにより、あちこちの医療機関が、「財政破綻」により閉鎖されている。
健康保険料の引き上げは、家計を圧迫する事は間違いないのだが、「いざと言う時に安心して医療が受けられない」と言う状態に成っては、「元も子もない」のではないだろうか?。
ここで、もう一つの問題点にも触れてみたい。
ある看護士さんの話だが、「最近は患者さんの態度が悪くなっている」と言うのである。
「医者は病気を治すのが当り前」「看護士は看護するのが仕事」などと言うことで、僅かな事で文句を言う人が増えていると言う。
完全に「お客様気取り」だと言うのである。
昔は退院する時に「お世話になりました」と言うのが普通だったそうだが、最近ではそれも少なくなっていると言う。
便利な世の中になっては来たが、「人間関係」は悪くなっているようである。

2008.02.13.






追記です。

この記事を書いたのは今から10年以上も前のこと。


で、実は、この3年半余り後の、2011年10月に、私は舌癌の手術をすることになり、障碍者の仲間入りをすることに。


今から7年も前のことです。

手術で舌の半分を失い、その後遺症で、食事も会話も満足にできない身に成り下がりました。

そこで必要になるのが「リハビリ」だが、残念ながら、私はほとんどリハビリは受けていません。


ハッキリ言うなら「リハビリを受けたくても近隣のそのような施設がない」というのが実情なのです。

正直、リハビリを受けようとしても、そこまで行くのが困難(電車で2時間近く)だったのです。


手術を受けた病院には通いの言語療法士はいたが、気まぐれな人だったようで、予約をとっておいても「ドタキャン」。

結局はそのまま自分で頑張るしかない状態に。



しかし・・・・。

私はこの事で文句を言ったことはありません。



あれからもう7年です。


今もまだ不自由ではあるが、食事も会話も何とかできるように。



3ヶ月半にも及ぶ入院中も、医者や看護師さんたちに文句をいったことはありません。

そう、患者はお客様ではないのです。



これからますます医療現場は大変なことになるだろう。


患者の側にも我慢が必要なんだがね。
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6 コメント

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大有り名古屋の金の鯱 (へそ曲がりおじさん)
2008-02-18 01:19:04
確かにリハビリの問題とは関係ないが、ブログ全体から見れば、無関係とはいえません。
ここの所、ブログを書くことが「一種のスランプ状態」に陥っているので、大いに役立っています。
「三人寄れば文殊の知恵」と言う半面「二人いれば意見の対立が起きる」と言うように、人それぞれ異なった考え方があります。
女の子の話し方が変わったのは、「男女雇用機会均等法(うる覚えなので間違っているかも)」が大きく影響しているのではないだろうか?。
「男尊女卑社会」から、急激に「男女平等社会」へ変化した「ひずみ」が出ているのだと思う。
何事によらず「急激な変化」には、対応するのが大変なだけに、様々な形で「ひずみ」がでる事は仕方ない事かもしれない。
かつての日本がそうであったように、今の中国は、急激な経済成長による「格差」「環境汚染」「水不足」などの問題(ひずみ)を抱えている。
欧米諸国のように、長い歴史に裏付けられた「男女平等社会」と違って、日本の場合は「取って付けた様な男女平等社会」なのだから仕方ない事かもしれません。
急ごしらえの物にロクな物が有った試がありません。
また、別な考え方をするなら、「子供が大人の真似をしてタバコを吸う」と言うこととも共通するかもしれません。
当の本人達は「カッコイイ」とでも思っているのでは無いだろうか?。
根本原因は、「その様な言葉使いをする人間に育てた親に問題がある」ので、日本の社会がおかしくなってしまったのは、その当たりに原因がありそうな気がするのだが・・・・。
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会社終了後… (河原 真)
2008-02-17 18:34:54
友人と話し込んでいたのですが、それはある人の記事がきっかけでした。ちょっとだけ引用します。『「よお、腹空かねえか」「おめえ、空いてんのかよ」「ああ、ローソンでなんか買って食わねえか。あそこなら安いだろ」(中略)どうもこの会話の声が若い女の子のものなのだ。…』時間は午後一時、しかも平日…。「友人はこんな事当たり前になっていて取り上げるには当たらない」「でも言葉使いとか、気にならないか?しかも女の子だろ?」から始まり、今の大人も手本を見せないのでは、仕方ない。(そこから徐々にエスカレートし)今の政治家も大した事ない事・(例の鳩山の失言も上げましたが)トラブルや汚職をした議員は国民投票で懲戒免職にさせる、どうしてもやりたい人はボランティアでどうか・小選挙区制→大選挙区制にしたらどうかetcこんな事を話し込んでいたら40分ほど帰りが遅れてしまいました。あまりブログに関係なくてごめんなさい。
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貴重な休憩時間に・・・・ (へそ曲がりおじさん)
2008-02-15 02:43:45
河原真さん、あなたは良い会社で働いているようですね。
貴重な休憩時間に難しい話が出来る仲間がいると言う事は、非常にすばらしいと思います。
多くの日本人は、「難しい話を嫌う」と言う傾向が有り、その事が結果として「世界の事に目が向かない」と言う事にもなり、「自分さえ良ければよい」と言う人間を生み出すのでしょう。
「どうしてこんな世の中になったのか?」と言う問題は、様々な理由が考えられるのだが、結局の所「日本人の国民性」と言う以外に無いのでは?。
欧米諸国に比べて急速に発展した為、心のインフラが付いてゆかないのでしょう。
身の丈に合った成長をしていれば、もう少し違った展開になっていたかもしれませんが、これは中国やインドなどの新興国でも同じではないだろうか?、昔からのお大尽と、成り上がりの違いを考えればよいかもしれません。
もうひとつ気になる問題として、「権利の主張はするが義務に関しては知らん顔をする」と言うことと、最近の判例が「患者に有利」なように思われることです。
医療訴訟ばかりでなく、最近の判例が「消費者に有利」なものが増えていることも影響しているかもしれません。
一概に昔の方が良かったとは言えないのだが、現状のままで行くと「医師や教師の受難時代」と言う事になりそうで、価格破壊ならぬ「国家の破壊」と言う事態にもなりかねない。
民主党の党首が「壊し屋」なのだから、気を付けなくてはいけないだろう。
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今日、友達とも話していたのですが… (河原 真)
2008-02-14 18:29:53
会社の休憩時間に、先日の割り箸の裁判の話が出て、結論から言うと、おじさんの言われる通り、という事になりました。昔であれば『仕方ない、これも運命』と諦めてしまった事も全て何かあれば裁判に訴えさえすれば何とかなる、と思っている人が多すぎる事・裁判をしても死んだ人は帰ってこない事・医者だったら何でも知っていて、何でも出来ると思っているのは大きな間違いで、人間なので神様ではないって事…。こんな事を延々意見交換しながら話しているうちに、休憩時間は終わってしまいました。やはり、現在医者のリスクが大きいのは動かし難い事実である事に間違いはありません。どうしてこんな世の中になったのかなぁ…。
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確かに昔の医者は威張っていた (へそ曲がりおじさん)
2008-02-14 03:07:36
私が子供の頃でも、「先生様」などと呼ぶお年寄りがいました。
医療が発達していなかった頃は、医者と言う存在は「病気を治し、命を助けてくれる大事な人」と言う考え方が基本にあったのでしょうが、最近では「直して当り前」と言う風潮があるようです。
「昔は医者の主張ばかりが通り、・・・・・・」と言う部分は必ずしも正解とは言えないと思います。
確かに、大病院や有名な医者にはその様な人も多かったのですが、今で言う開業医に当たる町医者には良心的な医者も多くいました。
しかし、昭和40年代になって大きく変わったように思います。
規模の大きな医療機関が増えるにつれ、真面目な町医者から患者が大病院などに移ってしまったのです。
多分河原さんが生まれたのはその頃ではないでしょうか?。
私が子供の頃にお世話になった医院も、昭和50年代頃に「跡継ぎがいない」と言う理由で閉鎖されています。
息子二人は医者になったのですが、大病院を選んで跡を継がなかったのです。
「医は仁術」では無く「算術」といわれるようになったのはこの頃からだったかもしれません。
日本の医療も、アメリカのように訴訟に備える必要があるでしょう。
訴訟社会のアメリカでは、それなりの対応策がとられていますが、日本にはありません。
現在の制度のままで医療訴訟が増えれば、「危険を伴う医療に携わる医者」は確実に減ってしまうでしょう。
これは私個人の考えですが、「医療行為は始めからリスクを背負っている」と考えるべきではないだろうか?。
医者の治療を受けると言う事は、命を失うかもしれないと言う危険な状態だからでは無いだろうか?。
「医者だから治して当り前」と言う考えを持ちがちだが、ここにも問題があるような気がするのだが・・・・。

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おじさんの言う事はわかるのですが… (河原 真)
2008-02-13 17:43:06
確かに今現在は患者側の不満ばかりが大きく取り上げられているけれど、昔は医者の主張ばかりが通り、患者の気持ちや主張は二の次・三の次になっていたと言う事を聞きましたが…。もしそうであれば、患者の事を粗末にした時代のツケがまわって来たのでは…?。ただ、これからの時代、医師も少ないので(まあ多い、少ないはあまり関係ないのですが)、私達患者側も、「来てやっている」なんて思わずに、「診ていただいている」という謙虚な気持ちは必要だと思います。どちらの側にも誠意があれば、今あるような医療の紛争は避けられるのでは…。
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