今様々な病気や怪我で、体の機能が麻痺した人に対するリハビリが盛んになってきている。
NHKの放送でも取り上げているのだが、「患者の側の不満」ばかりが大きく取り上げられているように感じてならない。
けして、「患者が不満を言う」事が悪いと言うのではない。
五体満足な私が言うのはおかしいかもしれないが、「患者の側の不満」も良くわかるのだが、「破綻状態に近い医療財政」と言うことを考えると、これ以上のことを求めるのは「リハビリを施す側の負担」が大きくなり、医師や看護士、介護士などの健康にも問題が出て来るのではないだろうか?。
すでに、一般の医師や看護士の、過労による体調不良や自殺まで起きている。
そればかりではない、医療事故を恐れて「手術を断る」と言う医師まで出てきてるという。
このままで行くと「治療をして欲しくても医者がいない」と言うことにも成りかねない。
患者の側にも「応分の負担」が必要だと思うのだが・・・・。
医療が発達すればするほど、「高度な医療機器」と「高度な医療技術」「高価な薬」が必要になるが、「高度な医療機器=値段が高い=医療財政の圧迫」」と言う事と「治療期間も長くなる=医療財政の圧迫」と言うダブルパンチ、トリプルパンチにより、あちこちの医療機関が、「財政破綻」により閉鎖されている。
健康保険料の引き上げは、家計を圧迫する事は間違いないのだが、「いざと言う時に安心して医療が受けられない」と言う状態に成っては、「元も子もない」のではないだろうか?。
ここで、もう一つの問題点にも触れてみたい。
ある看護士さんの話だが、「最近は患者さんの態度が悪くなっている」と言うのである。
「医者は病気を治すのが当り前」「看護士は看護するのが仕事」などと言うことで、僅かな事で文句を言う人が増えていると言う。
完全に「お客様気取り」だと言うのである。
昔は退院する時に「お世話になりました」と言うのが普通だったそうだが、最近ではそれも少なくなっていると言う。
便利な世の中になっては来たが、「人間関係」は悪くなっているようである。
2008.02.13.
追記です。
この記事を書いたのは今から10年以上も前のこと。
で、実は、この3年半余り後の、2011年10月に、私は舌癌の手術をすることになり、障碍者の仲間入りをすることに。
今から7年も前のことです。
手術で舌の半分を失い、その後遺症で、食事も会話も満足にできない身に成り下がりました。
そこで必要になるのが「リハビリ」だが、残念ながら、私はほとんどリハビリは受けていません。
ハッキリ言うなら「リハビリを受けたくても近隣のそのような施設がない」というのが実情なのです。
正直、リハビリを受けようとしても、そこまで行くのが困難(電車で2時間近く)だったのです。
手術を受けた病院には通いの言語療法士はいたが、気まぐれな人だったようで、予約をとっておいても「ドタキャン」。
結局はそのまま自分で頑張るしかない状態に。
しかし・・・・。
私はこの事で文句を言ったことはありません。
あれからもう7年です。
今もまだ不自由ではあるが、食事も会話も何とかできるように。
3ヶ月半にも及ぶ入院中も、医者や看護師さんたちに文句をいったことはありません。
そう、患者はお客様ではないのです。
これからますます医療現場は大変なことになるだろう。
患者の側にも我慢が必要なんだがね。
NHKの放送でも取り上げているのだが、「患者の側の不満」ばかりが大きく取り上げられているように感じてならない。
けして、「患者が不満を言う」事が悪いと言うのではない。
五体満足な私が言うのはおかしいかもしれないが、「患者の側の不満」も良くわかるのだが、「破綻状態に近い医療財政」と言うことを考えると、これ以上のことを求めるのは「リハビリを施す側の負担」が大きくなり、医師や看護士、介護士などの健康にも問題が出て来るのではないだろうか?。
すでに、一般の医師や看護士の、過労による体調不良や自殺まで起きている。
そればかりではない、医療事故を恐れて「手術を断る」と言う医師まで出てきてるという。
このままで行くと「治療をして欲しくても医者がいない」と言うことにも成りかねない。
患者の側にも「応分の負担」が必要だと思うのだが・・・・。
医療が発達すればするほど、「高度な医療機器」と「高度な医療技術」「高価な薬」が必要になるが、「高度な医療機器=値段が高い=医療財政の圧迫」」と言う事と「治療期間も長くなる=医療財政の圧迫」と言うダブルパンチ、トリプルパンチにより、あちこちの医療機関が、「財政破綻」により閉鎖されている。
健康保険料の引き上げは、家計を圧迫する事は間違いないのだが、「いざと言う時に安心して医療が受けられない」と言う状態に成っては、「元も子もない」のではないだろうか?。
ここで、もう一つの問題点にも触れてみたい。
ある看護士さんの話だが、「最近は患者さんの態度が悪くなっている」と言うのである。
「医者は病気を治すのが当り前」「看護士は看護するのが仕事」などと言うことで、僅かな事で文句を言う人が増えていると言う。
完全に「お客様気取り」だと言うのである。
昔は退院する時に「お世話になりました」と言うのが普通だったそうだが、最近ではそれも少なくなっていると言う。
便利な世の中になっては来たが、「人間関係」は悪くなっているようである。
2008.02.13.
追記です。
この記事を書いたのは今から10年以上も前のこと。
で、実は、この3年半余り後の、2011年10月に、私は舌癌の手術をすることになり、障碍者の仲間入りをすることに。
今から7年も前のことです。
手術で舌の半分を失い、その後遺症で、食事も会話も満足にできない身に成り下がりました。
そこで必要になるのが「リハビリ」だが、残念ながら、私はほとんどリハビリは受けていません。
ハッキリ言うなら「リハビリを受けたくても近隣のそのような施設がない」というのが実情なのです。
正直、リハビリを受けようとしても、そこまで行くのが困難(電車で2時間近く)だったのです。
手術を受けた病院には通いの言語療法士はいたが、気まぐれな人だったようで、予約をとっておいても「ドタキャン」。
結局はそのまま自分で頑張るしかない状態に。
しかし・・・・。
私はこの事で文句を言ったことはありません。
あれからもう7年です。
今もまだ不自由ではあるが、食事も会話も何とかできるように。
3ヶ月半にも及ぶ入院中も、医者や看護師さんたちに文句をいったことはありません。
そう、患者はお客様ではないのです。
これからますます医療現場は大変なことになるだろう。
患者の側にも我慢が必要なんだがね。
ここの所、ブログを書くことが「一種のスランプ状態」に陥っているので、大いに役立っています。
「三人寄れば文殊の知恵」と言う半面「二人いれば意見の対立が起きる」と言うように、人それぞれ異なった考え方があります。
女の子の話し方が変わったのは、「男女雇用機会均等法(うる覚えなので間違っているかも)」が大きく影響しているのではないだろうか?。
「男尊女卑社会」から、急激に「男女平等社会」へ変化した「ひずみ」が出ているのだと思う。
何事によらず「急激な変化」には、対応するのが大変なだけに、様々な形で「ひずみ」がでる事は仕方ない事かもしれない。
かつての日本がそうであったように、今の中国は、急激な経済成長による「格差」「環境汚染」「水不足」などの問題(ひずみ)を抱えている。
欧米諸国のように、長い歴史に裏付けられた「男女平等社会」と違って、日本の場合は「取って付けた様な男女平等社会」なのだから仕方ない事かもしれません。
急ごしらえの物にロクな物が有った試がありません。
また、別な考え方をするなら、「子供が大人の真似をしてタバコを吸う」と言うこととも共通するかもしれません。
当の本人達は「カッコイイ」とでも思っているのでは無いだろうか?。
根本原因は、「その様な言葉使いをする人間に育てた親に問題がある」ので、日本の社会がおかしくなってしまったのは、その当たりに原因がありそうな気がするのだが・・・・。
貴重な休憩時間に難しい話が出来る仲間がいると言う事は、非常にすばらしいと思います。
多くの日本人は、「難しい話を嫌う」と言う傾向が有り、その事が結果として「世界の事に目が向かない」と言う事にもなり、「自分さえ良ければよい」と言う人間を生み出すのでしょう。
「どうしてこんな世の中になったのか?」と言う問題は、様々な理由が考えられるのだが、結局の所「日本人の国民性」と言う以外に無いのでは?。
欧米諸国に比べて急速に発展した為、心のインフラが付いてゆかないのでしょう。
身の丈に合った成長をしていれば、もう少し違った展開になっていたかもしれませんが、これは中国やインドなどの新興国でも同じではないだろうか?、昔からのお大尽と、成り上がりの違いを考えればよいかもしれません。
もうひとつ気になる問題として、「権利の主張はするが義務に関しては知らん顔をする」と言うことと、最近の判例が「患者に有利」なように思われることです。
医療訴訟ばかりでなく、最近の判例が「消費者に有利」なものが増えていることも影響しているかもしれません。
一概に昔の方が良かったとは言えないのだが、現状のままで行くと「医師や教師の受難時代」と言う事になりそうで、価格破壊ならぬ「国家の破壊」と言う事態にもなりかねない。
民主党の党首が「壊し屋」なのだから、気を付けなくてはいけないだろう。
医療が発達していなかった頃は、医者と言う存在は「病気を治し、命を助けてくれる大事な人」と言う考え方が基本にあったのでしょうが、最近では「直して当り前」と言う風潮があるようです。
「昔は医者の主張ばかりが通り、・・・・・・」と言う部分は必ずしも正解とは言えないと思います。
確かに、大病院や有名な医者にはその様な人も多かったのですが、今で言う開業医に当たる町医者には良心的な医者も多くいました。
しかし、昭和40年代になって大きく変わったように思います。
規模の大きな医療機関が増えるにつれ、真面目な町医者から患者が大病院などに移ってしまったのです。
多分河原さんが生まれたのはその頃ではないでしょうか?。
私が子供の頃にお世話になった医院も、昭和50年代頃に「跡継ぎがいない」と言う理由で閉鎖されています。
息子二人は医者になったのですが、大病院を選んで跡を継がなかったのです。
「医は仁術」では無く「算術」といわれるようになったのはこの頃からだったかもしれません。
日本の医療も、アメリカのように訴訟に備える必要があるでしょう。
訴訟社会のアメリカでは、それなりの対応策がとられていますが、日本にはありません。
現在の制度のままで医療訴訟が増えれば、「危険を伴う医療に携わる医者」は確実に減ってしまうでしょう。
これは私個人の考えですが、「医療行為は始めからリスクを背負っている」と考えるべきではないだろうか?。
医者の治療を受けると言う事は、命を失うかもしれないと言う危険な状態だからでは無いだろうか?。
「医者だから治して当り前」と言う考えを持ちがちだが、ここにも問題があるような気がするのだが・・・・。