AI
一部の人間がコンピューターを使って作り上げた「人工知能」の事である。
で、このAI(人工知能)は「神」なのか「悪魔」なのか。
使い方によっては「神」にもなるが、いつ何時「悪魔」に変身するかは誰にもわからない。
それどころか、「神」にも様々あって、「疫病神」だって神には違いはないのだが・・・・。
AI
一部の人間がコンピューターを使って作り上げた「人工知能」の事である。
で、このAI(人工知能)は「神」なのか「悪魔」なのか。
使い方によっては「神」にもなるが、いつ何時「悪魔」に変身するかは誰にもわからない。
それどころか、「神」にも様々あって、「疫病神」だって神には違いはないのだが・・・・。
これはゆずさんのコメントに対する返事の意味も兼ねているのだが、がん患者である私自身の体験談でも有る。
このことを書くかどうか迷ったのだが、健常者が書くと非難の的になりかねない問題なので、実際にガン患者である私が代わりに書いてみたいと思う。
さて、皆さんは「ガン」と言うとどんなことを思い浮かべるであろうか。
ガンに対する研究がかなり進み、一部では「治る病気」などと言う人もいるようだが、本当にそうなのであろうか。
初期に発見できれば「治る病気」と言っても良いかもしれないが、それは極めて例外的ではないだろうか。
私自身は「中期」のガンで、「治る病気」とはとても思えないのである。
半月ほど前に、「予防的な意味の放射線照射」を受けているのだが、いくら放射線照射を受けたからと言って「完全に予防できる」と言う保証など何処にもないのだ。
現に、私より少し遅れてガンの手術をした人はすでに再発をしてしまい、私と同じくらいの時期に「治療目的の放射線照射」を受けているが、それで完全に治る保障もない。
実は、同じ病院に入院し、放射線照射も一緒に受けに行った間柄だが、それでも彼にかける慰めの言葉が見つからない。
このように、同じガン患者同士でも慰めの言葉が見つからないのである。
私の身内にも手術が困難なガンを患っている人がいるのだが、同じように慰めの言葉が見つからない。
私自身だって同じである。
どんな慰めの言葉を掛けられても心が休まることはないだろう。
いや、むしろ「慰めの言葉などかけてほしくない」と言う気持ちにさえなることがある。
私自身は持ち前の明るさで何とか乗り切っているのだが、精神的にまいってしまう人も多いだろう。
これはかなり昔に聞いた話だが、あるお寺の住職の話である。
当時は未だ「ガンの告知」と言うことがあまりなかった時代なので、医師は患者である住職に正しい病名を告げていなかったのである。
ところが、その住職は医師に対して「自分は仏に仕える身で、苦しい修行をして悟りを開いている。なので何を言われても大丈夫なので本当の病名を教えてくれ」と迫ったのだそうである。
医師も「そこまでおっしゃるのなら」と言うことで、「実は、あなたはガンです」と伝えたのだそうである。
ところが、ガンの宣告を受けたときは平静に見えていたらしい住職だが、それから程なくして自殺をしてしまったのだそうである。
病名は「胃ガン」だったのだが、本人は「ガンではない」と信じきっていたらしいのである。
このころは「ガンは死の病」とも言われていたころの話しではあるが・・・・。
悟りを開いているはずの人でもこの有様である。
一体ののような慰めの言葉があるのだろうか。
私の場合は「ほぼ間違いなくガンであろう」と言う自覚があったので、意外なほどあっさり?と宣告されましたがね。
私が初めからガンである事を前提に話を聞いていたので、医師の方も話しやすかったのでしょう。
このようなことを書くのは複雑な気持ちなのだが、「誰かが書かないと・・・・」と言う気持ちで書きました。
2012.11.08.
追記です。
この記事を書いたのは12年前で、今は手術をしてから13年になります。
そう、13年前はまだ入院中で、正月だけは外泊許可をもらって自宅にいました。
で、私は運が良かったのか、13年後の今も再発、転移もなく生きてはいるが・・・・。
舌癌手術の後遺症で、「嚥下障害」には悩まされています。
「言語障害」もあるが、これはかなり改善されたかも。
が、言語障害は相手によって伝わり方に大きな差が出ることもあり、電話では上手く伝わらないことも。
が、それでもなんとか一人で生活はできています。
7月の暴風雨で家の屋根が半分吹き飛ばされたことはすでに書いているが、同時に、40年あまり前に自分で建てたカーポートの屋根も吹き飛ばさ張り替えも頼むつもりでいたが、工務店の仕事が込み合ってしまい、早くても来年の2月以降になるとのことで、やむなく自分で張り替えることに。
ちなみに、自分で建てたとはいっても、既製品のセットを買ってきて建てました。
が、当時はまだ30代で若かったが、今は80過ぎの年寄りです。
それほど高くはないとい人の背丈よりはかなり高く、脚立なしではとてもできません。
しかも、最初に建てたときは邪魔なものは何もなかったが、今は邪魔ものだらけです。
その上、地面が少し傾斜しているので、脚立の安定性も悪く、予想外の難工事に。
が、もともと私は何でも自分ですることが多かったので、それでもなんとか張り替えることは出来ました。
正直、予定の倍以上の時間はかかっただろう。
おかげで、今は少々疲れました。
体力の衰えも嫌というほど思い知らされたが・・・・。
ちなみに、吹き飛ばされたのは塩ビの波板だったからだが、それにしても40年あまりもよく持ったものです。
途中で部分的な補修を繰り返してきたので何とかなったのかも。
で、今回は塩ビより少し値段が高いが、ポリカーボネードにしました。
費用はおよそ1万6千円弱です。
が、これで終わりではありません。
剝がした古い波板をどう処分するか。
今年の流行語大賞に「ふてほど」が選ばれたというが、私には全く意味の分からない言葉で、初めて聞く言葉でもあるが・・・・。
そこで・・・・。
昨日ボウリングに行ったついでに10人くらいの人に聞いてみたが、「聞いたことはある」という人は1人だけ。
他の人は私と同じで、「流行語大賞に選ばれたことで初めて知った」という答えが。
それが何故「流行語大賞」に選ばれるのか?。
これはネット社会が引き起こした「弊害」だと私は思うのだが・・・・。
正直、「兵庫県知事選」「アメリカ大統領選挙」でも巧妙な形で「ネットの力の悪用?」が行われていると思うのだが。
で、私もこうしてネットと繋がってはいるが、ネット上の話はほとんど信用はしません。
私は常に新聞(朝日新聞です)を購読していて、テレビは「NHK」以外はほとんど見ません。
実は・・・・。
先週の月曜日はまだそれほどでもなかったのだが、火曜日の朝になって今までに経験したことの無い倦怠感に襲われました。
立っているのがやっとの状態で、座ればいくらからか楽になるのだが・・・・。
かといって、横になってもほとんど改善はなしです。
で、心臓の少し上あたりの肋骨(のどの下あたり)部分に違和感が。
手首で脈を確認するも、非常い弱弱しい脈しか感じない。
そこで、手首で計る血圧計があるので計ってみると・・・・。
1回目は「エラー(計測不能?)」に。
少し間をおいて2回目は・・・・。
上が「75」で、下は「50」と出たのです。
これは「低血圧」どころの騒ぎではないが、だからといって、病院に行く気も救急車を呼ぶ気にもなりません。
一人暮らしなので、心配してくれる人もおらず、一時は「これで俺も終りか?」とも思ったのだが・・・・。
そのあと2時間ほど横になっていたが、いくらか状況は改善した感じも。
血圧も「100」を超えるようにはなったが、食欲は全くありません。
ただ、水は喉を通るので、水分の補給と栄養補給の意味で「水で薄めた牛乳」は飲みました。
が、固形分は受け付けません。
ヨーグルトも、「飲むタイプ」はいいが、そうでないものはダメです。
なので、「ゼリー」などもダメ。
が・・・・。
これらも昨日から何とか受け付けるようになり、症状もだいぶ良くなってきたのだが・・・・。
2011年の10月に舌癌の手術をしてから13年経つが、今のところは再発も転移もない。
が、「寄る年波」には勝てません。
先日「火野正平」は75歳で亡くなり、同年代だった「北の富士勝昭」も亡くなってしまわれた。
同年代とはいっても、私の方が3ヶ月ほど後なので、学年では1つ先輩にはなるのだが・・・・。
2024.11.20.
追記です。
書くのを忘れていたが、血圧はほぼ普段と変わらない数値に戻ったが、脈のテンポはバラバラです。
いわゆる「不整脈」なのだろうが、危険な「期外収縮」ではありません。
ちなみに、20代のころだが、近所の病院で原因は何だったか思い出せないが診察を受けたことがあり、その時に「期外収縮がある」と言われていて、期外収縮ならすぐにわかります。
ちなみに、「心配するほどの症状ではないので特別問題はない」とも言われ、それから半世紀余り経つが、症状が出たのは10数回程度。
それも、ほとんどは1秒程度で収まるが・・・・。
が、今回は脈のテンポがバラバラなのです。
頻脈になることも多いし、脈が欠けることも。
が、今のところは特に大きな問題はありません。
「脈が欠ける」
もうだいぶ前の事ではあるが、「携帯電話の電磁波」が原因で脈が欠けたことがあり、そは時は電子レンジも影響があったかも。
もっとも、その時は脈が欠けるだけで、頻脈にはならなかったが・・・・。
2024.11.25.
その後の様子でも。
正直、まだ元の状態には戻っていないが、かなり改善をしてきました。
なので、今日は久しぶりにボウリングを。
スコアーは良くなかったが、6ゲームを「1時間半」で投げられたので、8割くらいは元に戻ったかも。
が・・・・。
寄る年波には勝てません。
なので、これ以上良くなることはないかも。
私はかなり前から心配そしていたのだが、いよいよその心配が現実の話になってきました。
AI。
これは「人工知能」のことを言うが、人工知能は生身の人間とは違い、「理性や感情」というものを持たず、「事の善悪」を見極める能力もありません。
それでは何を元に答えを出すのか。
それは・・・・。
「ネット上の情報」の中から「数の多い少ない」を基準に出すのです。
そのため、その気になれば「人工知能を操る」ということも可能だろう。
いわゆる「数が支配する世界」なので、AIはいくらでも操ることは可能なのです。
数が支配する世界。
これは「数が多いものが正義」ということであって、これを現実の世界に当てはめると・・・・。
刑務所内では「囚人の方が正しい」ということになる。
ちなみに、最近はこれを悪用する輩も増えているようで、これによって「社会の混乱」も起き始めている。
「兵庫県知事選挙」「アメリカ大統領選挙」などはその典型かも。
ちなみに、私はスマホは持っておらず、情報をネットに求めたりもしません。
7月24日のお昼ごろ、それまで晴れていたのが、突然激しい雷鳴が。
ただ、それほど至近距離ではなさそうだったのだが・・・・。
その5分ほど後に突然大粒の雨が降り出し、その後は猛烈な豪雨に。
が・・・・。
その後突然強風が吹き荒れ始め、まるで台風のような様相を呈し、今まで経験したこともないような暴風雨に。
が・・・・。
強風と豪雨による音で気が付かなかったが、ここに住み初めて51年。
何度も台風の襲来を受けても大丈夫だった屋根が、今回初めて半分ほど吹き飛ばされました。
豪雨と強風が過ぎ去った後は茫然となったが、知り合いに紹介いてもらった工務店が親切だったため、すぐに応急修理をいてもらいました。
近隣でも何軒か屋根の一部を飛ばされたところもあります。
隣の町では倒木によるけが人も出たというが・・・・。
近隣でも倒木の被害が出ているが、怪我をした人はいないようです。
さて、屋根の修理。
保険が使えるが、全ては賄えないかも。
ここに住んで51年。
この様なことは初めてです。
2024.07.25.
追記(その後の様子)です。
屋根を半分吹き飛ばされてからすでに2ヶ月半近くになるが、いまだに応急的な修理をしたままで、本格的な工事はできていません。
ちなみに、修理費用は保険で全額賄えることになったので問題はないのだが・・・・。
場所が場所だけに、雨が降ると出来ません。
8月は猛暑で、工務店からも安全上の問題で「できればご勘弁を」と言われていて、9月になってからの工事を予定するも、今度は雨が問題に。
が、すでに10月になっているも、例年であればそろそろ秋晴れが続く時期なのに、ほとんど連日のように雨が降っていて予定の立てようもありません。
ちなみに、記録的な大雨にでもなれば若干の雨漏りはあるが、普通の雨なら多少強く降っても雨漏りはなく、その点は問題ありません。
今日もほぼ一日中雨が降っていて、明日も雨だという。
なので、まだしばらくは工事できない?。
2024.10.08.
追記です。
実は、昨日(26日土曜日)何とか工事は終わりました。
工事は21日に始まり、25日の金曜には終わる予定だったが、その金曜日が雨になり、終了予定も1日遅れました。
で、従来なら今頃は秋晴れの晴天が続いているはずが、何とか晴れたのは21日のみで、ひやひやする毎日でした。
これも近年の異常気象の一つなのだろうが、これだけ以上気象が続くと・・・・。
これが当たり前になって、そのうち異常とは言わなくなる?。
中国、ロシア、北朝鮮などの国では、「国による報道規制」が行われていて、国家にとって都合の悪い情報はほとんど闇の中に葬られてしまう。
が、日本ではどうなのであろうか。
実は、日本でもそれに近いことは行われているのです。
が、日本では国が関与することは少ないが、実際は国が関与していないだけで、膨大な量の「情報規制」「情報操作」は日常的に行われているのです。
それでは、一体誰がそれをしているのか。
それは・・・・。
企業、組織、団体、多くの国民なのです。
そう、多くの人が個人的に「情報規制」をしているのです。
ちなみに、私のブログはコメント欄を開放しているが、誤った情報やいい加減な情報を書いている人の多くはコメント欄が無かったり「承認制」にしてあることが多く、都合の悪いコメントは受けつけず、都合の良いコメントのみを表示する。
これは明らかなる「差別」である。
「口コミ」などもそうであろう。
都合の良い口コミは表示しても、都合の悪いものは削除。
「いいね」のボタンはあっても、「悪い」のボタンはない。
かつてはこんなことも。
ある人が私のブログにコメントを書いてきたので私もコメントを返していたのだが・・・・。
その人のブログに大きな問題点があり、私がそれを私が指摘したところ、それまでは公開されていたコメント欄が、突然「承認制」になってしまい、私のコメントは表示されなくなったのです。
それでもコメントしていたところ・・・・。
ある日突然「閲覧不能」に。
そう、国家レベルではなく、一個人レベルでの「情報操作」はごく普通に行われているのです。
「お客様は疫病神だ」と書いたように、有権者もまた「疫病神」である。
別の言い方をするなら「クレーマー」である。
ちなみに、成人になればだれにでも「選挙権」が与えられるが、これを「国民の権利だ」と主張する人も多い。
が・・・・。
権利には必ず「義務」が付きまとうのだが、誰一人としてこの「義務」に関しては「知らぬ顔の半兵衛」を決め込んでしまう。
が、これは「無銭飲食」と同じなのだが・・・・。
自民党による「パーティー券」問題にしても、肝心な議員はほとんどが「不問」で終わるのも似たようなものである。
ちなみに、議員は「期間が決まった契約社員」と同じで、常に頭の中にあるのは・・・・。
「次の選挙でいかに票を集められるか」であって、それにはそれ相応のお金も必要になる。
そう、選挙で落選すると「再契約は無し」ということになるので、議員の資格もなくなってしまうからである。
俺を避けるには嫌でもお金は必要になる。
が、そのお金には表に出せないものも多い。
なので、
かつては「5当4落」などとも言って、「5億使うと当選するが、4億だと落選」などとの皮肉も出るくらいお金が必要なのだが・・・・。
何故こんなにお金が必要なのか。
それは、それだけ有権者がお金で動きやすいからである。
が、そのことに触れる有識者(評論家も)もいない。
それは一体何故なのであろうか。
それは・・・・。
ほぼ議員と同じ立場に置かれているからにすぎないのだから。
議員たちと同じで、有権者を敵に回すと仕事がなくなるので、仕事がなくなれば生活も立ち行かなくなる。
だから、有権者を敵に回すような発言はしない。
が、私にはそのような弱身はないのでこういうことも書けるのです。
ちなみに、私だって議員になる機会はいくらでもあったが、有権者(支持者)のあまりにも身勝手な事を知っているので、その気にはなれないだけなので。
私よりもっと優れた人を何人も知っているが、その人たちも私と同じ考えなので、「議員なんて馬鹿らしい事などする気はなと言います。
ということで、政治を変えるには有権者が変わらないと無理なのです。
そう、「有権者はクレマー」なのだから。
「お客は疫病神」だと書いたが、それでは有権者はどうであろうか。
以前私はこのブログで「有権者は気楽な稼業」とか「身勝手な有権者」と書いてきたが・・・・。
「有権者はクレーマーだ」とも言いたい。
もちろん「疫病神」でもあるが。
で、今国会では「パーティ券収入」収入で大騒ぎになっているが、この問題の根源はどこにあるのか。
「派閥に問題がある」と言う人も多く、主だった派閥の解散も報じられている。
が・・・・。
私に言わせるなら、問題の根源には「有権者」も大いに関わっているので、「政治と金」の問題は有権者も考え方を改めない限り無くならない問題なのだが・・・・。
つづく。