メガリス

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六箇条の「薩長密約」成立に関する龍馬の役割

2010年02月13日 14時31分00秒 | 幕末維新

>松平さんは薩長連合の際、龍馬が交渉の席に遅れたことについて「両者が最初から歩み寄らないことはわかっていて、交渉をスムーズにするためわざと行かなかったのでは」と分析するなど、(後略) 

 違いますよ、松平さん。
 そもそも、六カ条からなる「薩長密約」が結ばれた席は、初めは盟約締結の「交渉の席」ではなかったと考えられています。
  薩摩は密約成立前年の薩摩名義による長州の武器購入や薩摩軍兵糧の長州からの調達などによって薩長の和解提携は一応成立しているという認識でおり、あの席は国事を語りながら親睦を深めるものと考えていたのです。それに対し長州の木戸は長州征伐等に関する自藩の言い分を存分に薩摩に訴え理解を求めるまたとない機会と考えていました。

 会合が一日経っても二日経っても何も決まらなかったというのは薩長両者が腹の探り合いをしながら睨み合っていたというわけではなく、改めて盟約のような物を結ぼうという考え自体が薩摩側には全く無く、長州側にも稀薄だった結果に過ぎません。

 遅れてやってきた坂本龍馬が両者の認識のズレを埋め木戸が長州の言い分を西郷らに認めさせる機会を作り、その結果として会合最終日に六箇条の「薩長密約」締結となったのです。これが「薩長密約」に関する龍馬の功績です。

 何を想像しようと勝手ですが、人前で話をするなら、基本的なことは押さえてからにした方がいいですよ、松平さん。 

 以下、南日本新聞(鹿児島市)ウェブサイトより引用。

 http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=22144

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松平定知さんが講演 坂本龍馬の人物像に迫る/鹿児島市・みなみホール
(2010 02/13 06:30)

  全日空(ANA)主催の歴史講演会が12日、鹿児島市のみなみホールであり、ANA歴史大使の肩書を持つ元NHKアナウンサーの松平定知さんが講演した。坂本龍馬についてユーモアを交えて分かりやすく語り、約300人の歴史ファンらが聞き入った。

 松平さんは薩長連合の際、龍馬が交渉の席に遅れたことについて「両者が最初から歩み寄らないことはわかっていて、交渉をスムーズにするためわざと行かなかったのでは」と分析するなど、興味深いエピソードを紹介しながら、龍馬の人物像に迫った。
 「歴史好きを1人でも多く増やしたい」と語る松平さんは人気番組「その時歴史が動いた」の案内役などで知られる。ANA歴史大使には2009年末に就任した。

  
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