明治十年二月、後に「西南戦争」になってしまう率兵上京を西郷に対し求める私学校幹部に対し、西郷は大義名分が立たないことを理由に頑として首を縦に振らなかった。
その西郷が或る日突然に率兵上京を決意する。其の時のことを西郷の妻“いと”が語っている。西郷の息子菊次郎の話と合わせると、おおよそ次のような様子だったらしい。
二月上旬の或る日のこと。
書院に居る西郷が“いと”を呼ぶので行ってみると、庭を無数の蛇の群れが列をなして通っている。
西郷が言う。「あれを見なさい。もう致し方が無い。」
西郷は桐野利秋を呼び「もう決心した」と率兵上京の決断を告げ、「そいじゃ、俺の体を上げましょう」と語った。
西郷は何れかの時機に率兵上京するつもりでいた。日本の為に其れをする必要性・大義名分が有る時にだ。私学校で若者たちを育成していたのはその為でもある。
だが、私学校の若者たちによって予期せず西郷に突き付けられた事態は彼が想定していたものとは全く違う。
西郷の前に蛇の群れが現れたのは二月初旬。「南国」と言われる鹿児島も寒風が吹きすさぶ真冬である。本来なら地下の巣から出る時期ではない。早すぎるのだ。
〝この蛇たちのように、我々は早すぎる出発をしなければならないのだろう。それが天意なのだ。〟西郷はそう考えたのではないか。
そして、早すぎる出発をする自分たちの運命をも悟ったのかもしれない。激寒の冬空の下に出た蛇たちがその後どうなるのかは判らない。だが、皆死んでしまうのではないか?