キチンとした部屋に私は招かれた。部屋の主は大学時代の友人だ。サークルは同じじゃなかったけれど、目指す道が同じだった私達はお互いに切磋琢磨し合う仲だった。だからふたりの夢が叶った時は抱き合って喜びを分かち合ったし、お互いの結婚式にも出席した。披露宴の挨拶で私の祝辞を彼女が冒頭からマネした時は本当に笑ってしまった。私にとっては親友と呼んでも差し支えない人である。
あれから長い長い月日が経って、私の息子が私と同じ夢を追う頃、友人が自宅でお茶しようと誘ってくれた。
部屋を通された私の最初の感想は「とても整理整頓された空間」だった。
いかにも料理が捗りそうなキッチンに、ゆったりとしたオフをラフなカンジで過ごせそうなリビング、揃えられた少しの靴が並ぶ玄関、不快のないトイレ、窓や置物etc…。それはなんだかとっても「ちゃんとした“おうち”」の模範解答であった。私はおそらくそれほど高価ではないであろう(けれど清潔な)椅子に友人と向き合う形で腰かけた。私は息子が小さかった頃、お友だちのおうちに遊びにいくときには「いってらっしゃい」と「気をつけるのよ」を言って、帰ってきたときは「おかえりなさい」と「どんなおうちだった?」と必ず聞いていた。
子どものつたない語彙力でもおうちの様子を聞けば大体その子・親のことはわかってしまう。だらしない、見栄っ張り、神経質、甲斐性なし…。私はそれをやんわりと息子に伝え、注意を促した。
だから私のこれまでの経験上からいえば、友人の自宅はキチンとした部屋で
、彼女はそれ相応の人格の持ち主だといえる。思えば私が夢の最前線から離脱してもなおこの子はあそこに残り続けていたのだ。
どうぞ、とすすめられて親戚から貰ったという紅茶をすする。
無難な味わいだ。
私達は当たり障りのない昔話に花を咲かせ、やがて枯れ落ちる頃にはお茶もなくなり、私も彼女の粗探しをやめていた。会話は凪いで、この部屋の掛け時計は秒針さえ聞こえないタイプなのだと今はじめて気がついた。
「ねぇ。」
しばらくしてから彼女が口をひらく。
私は悟られない程度に身構えて次の言葉を待った。
「…ずいぶん前に“自分磨き”なんてものが流行ったけど、結局わたしは磨いても磨いても誰かの宝石にはなれなかったみたい。」
空っぽのカップを手に取り、一瞬だけ中を覗きこんで そうね、と安易に相槌をうちそうになるのをこらえた。
きっとこれは私の役目なんだろう。
そのために彼女は私をここに呼んだんだ。
そして私は、目の前の彼女にたったひとつの不快感を言った。
「この部屋に あなたはいない。」
無難な部屋。
キチンとした部屋。
誰も不快にさせない部屋。
その中の どこにも 彼女を表すものがなかったのだ。
光沢はまばゆい。しかしその輝きはただ光を反射するばかりで、いくら磨いても突然発光しだしたりはしない。
きっと彼女はそれに気づかないまま、
自分を磨き過ぎたのだろう。誰にも悪く思われたくないという気持ちは、誰にとっても何も思われないことに近いのだ。でも、ならどうして私は…
「でも、ならどうしてアナタは今も幸せそうにしているの。」
彼女ははっきりとそういった。
それは私を妬むというよりも、心底わからないといったようだった。
「それは、」
彼女にいわせてみれば私なんて磨きの足りない人間なんだろう。たしかに私達が社会や世間で生活するためには、ザラザラとしていてはとっても生き辛い。けれど人間って奴は本来デコボコしているのだ。完璧じゃない。そして、夫はそんな不恰好な私をいいといってくれた。私にとって弱点や虚勢だと思っていたことは、彼には“私らしさ”にみえたようだった。
もちろん それは他の誰かにとっては不愉快なものだったかもしれないし、
彼にとっても私が理想の全てではなかったと思う。
けど、私は彼と結ばれた。
そして今も幸せだ。
私はもう一度言い直す。
「それは、…今のあなたに言っても伝わらないとおもう。」
「そっか。」
彼女はため息と一緒に吐き出した。そして2つの空っぽのカップに気がつくと お茶淹れてくるね といって席を立った。その時彼女の胸元で一瞬キラリと光ったものを私は見逃さなかった。
おそらくネックレスに吊るされたそれは、
小粒のダイヤがはめられた指輪だった。
【おわり】