ありふれた人生を探していた。
傷つきたくないから
だとすれば、どうすればよかったんだろうか。
おめでとうと二人に伝えた帰り道。
これからたくさんの幸せを掴むんだろうとおもった。
息子や娘がいたら、息子の言葉に肩を震わせる父や、娘のサプライズに涙する母になるのだろう。
ありふれた人生はかけがえのないほど繊細で、凡庸な僕らにはあまりにも大切だった。
そしたらさ。と美しい木造建築のなか。ようやくいま、また資格を取ろうと思うんです。と話す後輩は当時の彼と入籍するつもりだと教えてくれた。何かが上手くいかなくて、それから再起した意思がみえた。
じゃあさ。と宴のなか。仕事を辞めたというふたり。海外をみて、あるいはスポーツに勤しんで。それから100社以上面接をして。ようやく掴んだ明日の糊代。車輪を阻む段差があることが何よりも乗り越えがたい壁なのだと思い知らされたようだった。
所詮文系だからと話す声に耳を澄ませた。
ありふれた話といえばそれまでなんだろうか。
ならさ。と薄暗いバスのなか。昨晩ハネムーンから帰国した彼女の幸せな話はそれまでの恋の裏切りや愛の分裂を乗り越えてきたひとつの結末のようだった。ひとつ物語を終えた彼女は「生きるのに必死やった」と最後に教えてくれた。
ありふれた幸せ、ありふれた不幸なんていわないでほしい。
歴史に名を刻まない僕らは不幸に打ちのめされ、幸せに救われ、この手を握る愛しい人のために捧げるのだ。
それをありふれたなんて言わないでほしい。
【おわり】