河川敷の稲穂が揺れている。朝の日差しがあまりにまぶしい。俺はこれでよかったんだろうか。不眠明けの朝焼けは俺の問いに答えてはくれなかったが、胸のうちはいい意味でからっぽになった。これからは詰めるだけなんだってな。俺の両肩に妻子がのっている。左肩の妻はすこし自由過ぎるし、右肩の子は口を開けば無茶ばかりだ。両肩に食い込むふたりの重さに泣きそうになる。幸せにできるのも、不幸にさせるのも今は俺次第なんだ。そう思うと自然と両足に力が入った。不思議だ。嫌で嫌で仕方がないはずなのに。まるで列車に揺られている時のように無意識に踏ん張りが効いた。俺に出来ることってなんだろう。
世界の外側からずっと押さえつけられたような日々の端々で、俺は考えを巡らせた。
俺はきっと俺が思っているよりもずっと有限だ。だから配分を考えなくちゃいけない。
生活に困らない程度の収入が必要だ。勤め人の俺はそのほとんどが給与だ。給与は限界がある。「所得を増やすには」なんて検索した日には「昇進」「転職」「副業」「起業」「資産運用」といった内容の記事ばかりが目に飛び込んでくる。今の仕事は嫌なところもあるが致命的な不満もない。だけどよ、どれも成し得ようとするほどの意欲もさっぱりなかった。
一方で支出を減らせばいいんだろうか。一世一代の節約家として名を馳せれば幸せになれるのだろうか。全てを現金換算して何かを見誤らないだろうか。発芽した興味を、未来への希望を、生きるための武器を、寄り添う想い出を、砂利銭に替えてしまわないだろうか。
不安は尽きないし、理不尽な不幸をもたらす闇には飲まれたくない。けれどもそれらはいつだって、誰にだって起こりうることだ。じゃあどうしよう。
一人でわけもなく映画館へ行った。
ラブストーリーは枯れ落ちてかけ違えたボタンは桜色だった。
責任を果たすことだけが、正しい訳でもないし。闇に飲まれるまで、砂浜ではしゃぐのはあまりにも無惨だ。
社会になぶられた彼と闇に飲み込まれた彼のどちらも今の俺のすぐそばに沿っていた。あぁ、よかった俺じゃなくて。
普通の生活とは漠然と普通にしているようでは手に入らないことに気づいていた自分を称賛した。
もちろん俺はただ運がよかっただけでもある。俺の邪な努力でもあれば俺の努力以外の機会や世情が後押ししたことでもある。だから慎ましくけれども、確かに穏やかであたたかい日だまりを育てなくちゃいけない。
珈琲を飲もうとしたとき、訃報が届いた。
昔よく遊んだ友人だった。
彼のことについて、ひっそりとここで偲ぶとすれば、彼は優しくて若干不器用でおそらくすごく繊細な人だったとおもう。彼の親はもっと賢くてたくましく、鋭い人間になってほしかったのかもしれない。当時、端からみていてなんとなくそうおもった。
その後、彼の親と再会したとき、親心とは劣等感の裏地でもあるんだと知った。
彼が崖から突き落とされる様を横目に、本当はなんといってほしかったのだろうかと目を閉じた。
彼がなぜもういないのか知らないし、
最期になにをおもったのかもわからないけれど。あの当時、突き放された彼が浮かべた目の色をなんとなく見てはいけないもののように感じていた俺の心は間違っていなかったのかもしれない。
これからは、からっぽの心に優しくて愛おしいものをたくさん詰めよう。やがて花束のようになったとき、またちゃんと愛してるって言える気がした。
【おわり】