児童文学作家を目指す日々 ver2

もう子供じゃない20代が作家を目指します。ちょっとしたお話しと日記をマイペースに更新する予定です。

2015-11-27 | 物語 (電車で読める程度)


「苦しかったんだ。」
ようやく開いた彼女の口からはごく平凡な答えが発せられた。

「何が苦しかったの?」
けれど僕はそれを顔には出さず、あくまでこちらが興味をもっている体を装う。

「周りはとても楽しそうにしている。
でも、上手く楽しそうにできない自分は楽しい人間ではないような気がするの。」
彼女の悩みもまた、ごくありきたりな緊急性の低いもののように感じられた。

「それはつまり、自分はつまらない人間だと?」
僕は語調と彼女の視線等に最大限気をつけながら確認する。

こくりと頷く彼女はしかしまだ言い足りないことがあるようだ。


「私はとても恵まれていると思う。五体満足で家族は健在かつ円満。これまで裕福だとは感じないけど、貧しいとも感じたことはない。友達も多くはないけど数人いる。そこそこの大学に受かって、今は地元の市役所に勤めるため公務員試験の勉強をしている。なにも問題はない。なにも問題はないはずなのに…」

彼女はそこで息を吐いた。話しの続きを僕は静かに待つ。

「だから、私は幸せなはず。世界の恵まれない人たちや虐待やいじめ、貧困に苦しむ同年代の人たちに比べれば私なんて幸せなんだ。幸せで恵まれていて、なにも問題がないんだ。なのにどうして、どうしてこんなにも空っぽなんだろう。」

沈黙が流れる。彼女が話し出さないことを確かめてから、僕はちょっとだけ話題をズラしてみることにした。

「公務員の勉強をしているんだね。
どうして公務員を選んだか理由を聞いてもいいかな。」

「それは安定しているから。」

「なるほど。」
会話が止まってしまった。僕は次に投げ掛ける言葉に少し詰まってしまった。それは話題がないためではなくあらゆる可能性に配慮した次の一手が求められているからだ。けれど再び彼女が話しはじめたため、あわてて僕はそれらを頭の隅にやり彼女の方へと向き直った。

「もうずっと、偶数を奇数で割り続けているような気分なの。それはまるで循環小数のようにある数まで来たらまた同じ数が繰り返されてしまう。そんな日々が贅沢にも息苦しい。」
彼女はカップの珈琲を一口舐めた。真っ黒な液体がかすかに揺れる。
彼女の肩越しに時計を確認すると相談時間は残り10分を切っていた。そろそろ小まとめに入らなくては。

「つまらない人生なんてない。」
そう言い切れるほど僕は長く生きてはいない。だからこそ彼女の何がそこまで日常を否定するのか興味がある。恐らくさまざまな理由が考えられるだろう。例えばそれは苦い経験からだろうか、それとも甘い恋煩いからだろうか。または辛くも難より逃れた自責の念からだろうか、はたまた学友に飼われ辛酸を舐めた屈辱からだろうか。けれどこれは全部僕の想像だ。今それをここで暴くことが正しいわけではないのだろう。安定を求める反面、その実それを空しいと感じる。相反するその心の揺れに僕はあえて答えめいたものは出さず、簡単な確認とそれに対して共感の意を表すに留めた。

ありがとうございましたと席を立つ彼女を見送りながら僕はすでに次週で問う質問の内容を決めていた。









「では、あなたの夢について教えてください。」






たまらず舌舐めずりをした。


【おわり】