ミッドタウンから慎ましやかな我が家へと向かう。タクシーに揺れはなく旅客用の後部座席は心地よかった。ドライバーである旧友と話をした。
付き合って七年目の彼女と別れたそうだ。
かくいう私は付き合って七年目の妻との間に子が生まれた。
「心臓をえぐられたわ。」
街並みは馴染み深い景色に変わる。
「こんなにしんどいなんてな。」
理由は他に“素敵な人”ができたらしい。
「本当かどうかはわからないけどさ。」
バックミラー越しの彼と目は合わなかった。
なぜそうおもうのか聞いてみた。他意はない。
「いつもは早い返信がその時だけは間があったから。」
「そっか。」
断ってから少しだけ窓を開けた。夜風が前髪を揺らす。女神様の前髪も揺れるんだろうか。
「結婚したかったな。」
彼の白手は瀟洒で、ハンドルを握る所作は品のよいものであった。車体は滑らかに夜の明かりをすり抜け、私がよく知る場所へと誘った。
「貯金もないし、仕事もころころ変わったけど。それでもさ。」
私はぼんやりとメーターを眺めた。積もる数字を何かに重ねようとしてやめた。
立派だとおもった。だから自分の事のように悔しかった。彼と幸せな話題を噛み締めたかった。うまくいかないことってなんてありふれているんだろう。いつ自分がそれを拾い上げてもおかしくなかった。
このまま、どこか美しい景色を見に行きたい衝動に駆られた。
けれどもそれは明らかにとても身勝手なことだった。
「ここでいい?」
「あぁ、ありがとう。」
小銭はまけてやるという彼にクレジットカードを押し付けた。
一円たりとも違わず決済する。
「また連絡するよ。」
お決まりの別れ文句を垂れて降りた。
なぜかもう会えない気がした。
【おわり】