俺は目に見えるように堕落していった。
坂道を転がるようにあっという間だった。
体に悪いものをたらふく詰め込んで、
ふたりの部屋をゴミで埋めた。
古い友人が逝った。突然だったらしい。
楽しく温泉につかって、体を温めているうちに心臓が止まったらしい。高カリウム状態だかなんだかしらないが、あっという間だったらしい。
しにたいと願う気持ちに代わりはないが、いきたいからしにたいのかもしれないとおもいなおすようになった。何度も唱える訳は生きていたいからなのだろう。
湿っぽい土曜日だった。脱ぎ散らかした衣服と空き缶、くだらないチラシの束がより一層、深く沈んでいきそうだった。
これから妻子を養うことなんてできんのだろうかなんて、不安が付きまとった。
それに、今のご時世黙って稼げばそれでよいとはいかない。
妻を幸せにするには随分と多くのことを求められる。求められることは幸せなことなのかもしれないが、本心からそう言えるまでには未だ至っていなかった。
大学のそばを歩く。両親が学んだ大学は幼心に自分もそこへいくべきなんだと信じていた。当時18歳だった自分は別の夢があると言い聞かせて他所へいったが、本当は両親と同様にそこへ通いたかった(決して学びたかった訳ではないと今なら言える)。勿論学力が足りなかった自分は次善の策として別の道を選び、今は当初の目標からほどほどの三等賞くらいは運良く勝ち取ることができた。少しだけ目を閉じた。風が吹いたせいではない。大学前のベンチに座って往来を眺める弟を、あるいは昔出会った苦学生の青年を、あるいは本当は成りたかった自分自身を想像してみた。弟は両親よりも難関校に進学し今年就職活動だった。苦学生の青年は人生の交差点で偶然見かけた。彼は今年就職活動を終わらせなくちゃいけなかった。俺はそもそも学力が足りなかったが、もしかするとなにかの間違いでそこにいたかもしれなかった。けれども、そうだったとしてもベンチでうなだれていただろう。
今よりすこし前に、煙草を吹かす老人をこのベンチで見かけた。上の空で往来を眺める姿が手持ち無沙汰な自分と重なって、ほんの与太に付き合ってもらった。煙草をすべて差し出し、天気の話をした。老人は息子を訪ねて遠方から来たのだという。優秀な息子は会社員として勤めており、妻子もいるのだそうだ。すこし言葉を濁しながら今にも墜落しそうな言葉を適当に聞き流した。仕事柄か人の言葉を素直に受け取れなくなっていたが、たとえ老人の話が事実でなくとも、何も問題ではなかった。なにせその時の俺はプライベートであったし、なにかを疑うにはあまりにも天気がよかったのだ。老人はここから幾分離れた駅を尋ね、お開きとなった。ここから歩くにはすこし根気のいる距離をさして詳しくは伝えず、東を指した。老人は会釈をして気のすすまないような足取りでそちらへと歩いていった。老人とはそれっきりだった。
それから何回目かの日曜日。天気はあの時とよく似て晴れていた。なにより違うのは頭が痛くて、起きることも再び眠ることもつらい事だ。無理矢理、水を飲む。友人の誘いを無下に断って、ひどい格好のまま外食に出掛けた。クソ不味かった。なにも満たされることはなかった。むなしさのほうが大きかった。妻の住民税を支払い、千鳥足のまま帰宅した。
俺はどうすりゃあいいんだ。内心で吠えるほどに意識は遠退いていった。脳みその半分程が霞に覆われているようだった。
どこにいけばいいんだろう。自宅は荒れ果ていた。ここにいるほかないんだろうと諦めている自分がいた。
妻がいたから、俺は元気だったのか。
妻がいたから、無理にでも元気だったのか。そのどちらでもないような、そのどちらとも言えるような気がした。
自由というよりも、不安なのだ。
不安が尽きないはずなのになにが不安なのかよく定まらなかった。
頭は重い。泥のなかにいるようだ。
けれども、外は昨日一昨日の雷鳴が大嘘であるように透き通っていた。
そういえば、
【おわり】