永遠の0 (ゼロ)太田出版このアイテムの詳細を見る |
連休だというので、本屋で通りすがりに手にした一冊。
帯に記された「児玉清のひとこと」で手にしたが、やはりこれはすごい!
本当に涙を流しながら読んでしまった。
この小説の追跡者は、私らの子供たちの世代。追跡されるものは私たちの父の世代。私はその狭間の世代。
その狭間世代故に今まで分からなかったものが、目から鱗がはがれるように落ちていく。
第2次大戦の特攻の青春と、戦後のその子たちの青春、そして今の青春をつなぐ壮絶な小説である。
私の叔父は陸軍士官学校出の軍人であった。私の妻の父はまさにこの小説の舞台、九州の特攻基地の通信兵であった。
彼らは飲むと当時の青春を振り返り、軍歌を歌っていた。
私の父は、教員であった。恐らく軍国教育をし、かつ戦後教科書に墨をぬった類いであろう。
彼は周りが飲む時でも、戦争賛美には一切組していなかったかに見えた。
一度だけ、訓練中に銃の木の柄に傷をつけてしまい、死ぬほど殴られ、必死になってそれを修復したことを酔って話しているのを聞いた。
軍隊とはなんと恐ろしいところだという恐怖が私には植え付けられた。彼らは当時の多くを私ら子供に語ることはなかった。
私らも彼らが戦争で人を殺したのかどうかは、恐ろしくて聞くことは出来なかったし、彼らも語ることは決してなかった。
彼らの多くは、既に世を去った。私の父も妻の父もすでにない。
でも、この小説は、彼らの子供たちには語ることの出来なかったことでも、時間を経て孫には語ることができるようになったこと、死ぬ前に語らなければならないことを小説として訴えている。
安っぽい戦争賛美や戦争反対ではなく、戦争とは壮大な悲劇であることが圧倒的な迫力で迫ってくる。
そしてその中で守ろうとした「愛」(それすら安っぽく響く)をこんなにも見事に描き出した小説はかつてあったであろうか?
読んだ後に、本当に生きる力がわき上がってくる作品である。
私にはこの小説を斜に構えて評論する気にはなれない。
思うのですが、
なぜかS原さんのブログに、コメントが
ありました。
S原さんといえば、覚えていらっしゃいますか?
化学研究室なのに、地学研究室によく入り浸っ
ていた先輩です。
私は「永遠の0」の著者です。(証明するものはありませんが)
自著をネット検索していましたら、楽学天真さんのブログに行き着きました。
拙著を熱く語っていただき、ありがとうございました。
楽学天真さんの感想はどの部分も、著者にとっては素晴らしいものでしたが、最も嬉しかったのは「生きる力がわきおこってくる作品」とおっしゃってくれた部分です。
拙著の舞台は大東亜戦争ですから、小説の中にも夥しい「死」が出てきます。そして最後は主人公の死で終わります。
しかし、私は悲しいだけの物語を書いたつもりはありませんでした。私の持論は「小説とは、読む者に生きる勇気を与えなければならない」というものです。
ただ、持論はどうであれ、また意図はどうであれ、書かれた作品がどうなっているかは別の問題です。
私の作品が読者に「生きる勇気」を与えることが出来たのか、ということは著者にとって一番気になるところでした。
それだけに楽医天真さんのコメントが嬉しかったのです。
有り難うございました。