日本人の誇り (文春新書) | |
藤原 正彦 | |
文藝春秋 |
東日本大震災で自信を失った日本。
日本、日本と気にする日本。そんな日本がいいと思う人、いやと思う人、様々な人がいるのも日本。
でも、語らず、言葉を闘わさず、のど元の騒ぎがじ~と通り過ぎるのを待つかにも見える日本。
昨日(9/2)台風の最中ののサッカー、ワールドカップ対北朝鮮@埼玉。
なでしこJapanに続きこの間の唯一ともいえる励ましは、サッカー。
ナショナリズムではなく、パトリオリズム。
ふるさとを共有し、その幸せと安寧を願う思い。そんな心情を覚醒させる書。
話はそれるが、著者自身は、藤原咲平という第2次世界大戦前の気象学者が大叔父とのこと。
知らなかった。
藤原咲平と言う人、実は気象学だけではなかった。
戦前、固体地球の分野で、地渦論というのが一瞬はやった時があるようだ。
日本では地質学の分野で、徳田貞一と言う人が、和紙と和糊で日本列島を作って論文を書き、日本列島の大地に巨大な右回り偶力が働くと示したとき。
それに、かの寺田寅彦が感動し、ウエゲナーの大陸移動説に共鳴した延長線上でのことだ。
藤原咲平氏は、太平洋の岩盤が全体として半時計回りに回転し、大陸との境界部に右横ずれ構造が形成されるという考えに合流したように思う。
確かにプレート沈み込み帯とは、寒冷前線。冷たく思い太平洋プレートが熱く軽い大陸プレートの下へ潜り込むのだ。
「これはプレートの先駆けだ!」とも思いで若いときに読んだ記憶がある。
忘れ去られている日本地球科学史だ。それらはすべてプレートテクトニクス以前のことだ。
それらをきちんと記録し、いつか整理したいと思う。本書とはなんの関係もないのだが、藤原咲平氏という名が出て来て思い出してしまった。
戻って、この本。
戦後教育の中で、教えられていない日本史、明治維新から日露戦争までの日本が、崇高なる理念が前へ出て引っ張った。
そのことを強く語った司馬遼太郎へも通ずる。戦後教育は、その司馬史観さえ「右翼的」といっていたような気がする。
明治日本の矜持、この点をもっと強調すべきと、私も常日頃思っているのでそこは同意できる。
もちろん政治とは常に前面に崇高な理念、背面に自己利益があるというのは古今東西の全歴史の常。
戦後教育が強調した「女工哀史」「蟹工船」などもひっくるめて全部を理解しなければならない、と思う。
そのバランスをうまく取れた時だけ、発展とよべることが続く。自己利益とは経済的利益であることがほとんどだが、利益とは経済のみにあらず。
「幸福の達成」が生活的視点からは最も重要なはずだ。明治の最貧層のドラマ「おしん」がなぜ今の韓ドラのようにアジアを席巻したか。
そこに「幸福となはにか」のメッセージがあったからではないのか、と思ってしまう。
そんなことも考えさせてくれる。本書だ。