梟の城新潮社このアイテムの詳細を見る |
コンピュータもクラッシュした連休。おかげで読書三昧。
司馬遼太郎30代半ばの最初の長編作/昭和34年直木賞受賞作。
これが書かれた時代は私の小学から中学へかけての時代。私など毎日、野原でチャンバラ遊び、忍者遊びをしている真最中である。私は小学高学年のときは、工事現場から鉄の大きなナット留めを拾って(盗んで?)きて、その四隅を金槌でたたき、やすりで削り、手裏剣を作って遊んだ。実に良く刺さった。おもちゃの刀も同じようにして“刃”を作り、切れ味の良い本物風の刀で草木をなぎ倒して遊んだ。人には絶対、向けないという“高いモラル”で私たちは遊んでいたが、それらは全て極めて危険だというので、後に禁止となったが。
そのような時代に、忍者を人間として描いたこのような作品があることなどもちろん知らなかった。人間としての忍者を描いた「忍びの者」というテレビドラマを食い入るように見たのはもっと後であり、鋭く忍者社会の残酷さと社会を描いた「カムイ外伝」という白土三平の漫画が出るのももっと後である。
この作品を手に取ったきっかけは、先の同名の映画でもなく、上のような子供時代の追憶のためでもない。司馬遼太郎30代半ばにどのような思いから、これを描いたかを知りたかったからである。「司馬遼太郎が考えたこと」と共に書かれた順番にもう一度、読んでいこうと思い立った、あせらずのんびりと。ほかにも読みたいものが多数あるので。
司馬は終戦時22歳。多くの人が死んだその戦争を青春まっただ中で生き残ったのである。人の、自然ではない強制されても抵抗できない死が、いやむしろそれを納得して受け入れていた死が日常であった時代をくぐり抜けている。そして、戦後、「そのような死は実はいやだったのである!」と生き残った多くの人が叫んで、大規模な左翼運動がそれらの同じ世代によって展開されていたまっただ中での作品である。しかし、死んでいったもの達は「それでは浮かばれない犬死にだ!」との思いも大きく渦巻いている。
書かれた背景にある、司馬の生きた戦争と戦後の時代は、この作品の背景の時代と驚くほどの一致して見える。信長によって殲滅させられた伊賀の忍者。戦争による大量の死が当たり前の世の中。その恨みに生き甲斐を見いだす主人公。その年齢と時代背景は、ほとんど司馬と同じ。“公”と“怨”と‘掟“に生きる理由を見いだす主人公群。しかし、最後の秀吉の寝所で、人間としての生き様を取り戻し、恨みを忘れ、甲賀の同じような生き様をくぐり抜けてきた女と一緒になり、山野での世俗とは無縁な、おそらくは静寂な人生を送ったというハッピーエンド。想像だけでは恐らく書けない時代小説なのであろう。
修羅の人生から仏教の解脱にも似た、人間回復の静かな記述。なぜその後、司馬の作品が受け続けたかの原点を見る思いがする。