楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

論文不正への対策

2006-11-15 08:57:24 | 科学
今日の新聞によると、論文の不正(データのねつ造など)に対して、厳しい罰則が科せられることとなった。これは、主に生命系で相次いで起こったことによる。この背景にはよく指摘されているように異常に加熱した業績主義がある。すべては論文の数、論文の引用数、もらった賞などで数値的評価をし、それに基づいて昇格も、給料も決まって行く。学生にとって研究職への就職もそうである。研究費があたるかどうかもそうである。勢い、研究室は論文生産工場と化す。一方で、そのような環境を強烈に推進しながら、締め付けも強烈。そして、その他に、教育があり、管理業務があり、そして学界の仕事がある。結果はどうなるか?私なども本当に寝る暇もない。考える時間もない。

超難関の雑誌の論文は引用が多い。そこへ論文を通そうとして安易な道をとろうとすると、「悪魔のささやき」が聞こえてくる。「データなんて、科学なんて、所詮は主観、ほらほらほら、見えてくるだろうこうすれば」との<悪魔ささやき>に導かれ、データを抜いたり、加えたり、と<悪魔の手>が動く。一度やったら罪悪感なんかはなくなる。点数が高くなればご満悦。そして奈落の悪魔の道へ入っていく。科学におけるモラルは消える。

 もちろん、悪魔のささやきにのった人間が悪い。泥棒は人のせいにはできない。しかし、泥棒をせざるを得なくなるような、異常な業績主義環境って、やっぱり問題ではないの。泥棒天国の国は世界中で、一杯あるが、そこはどこも経済に疲弊していて、貧富の差がひどくて、食べていくことも困難な国だよね。その時に、泥棒だけ捕まえても、決して泥棒は減らない。罰則だけ強化しても解決はしない。
 私は昔、アメリカで、とある有名な先生のお宅で(日本人、しかしアメリカ人となった)、感動的なことを聞いた。
その先生は決して論文の数は多くない。しかし、ほとんど全ての論文がヒットし、科学の歴史を揺るがした。
「○○君。論文を書いて出来上がった時、その作品がチャーミングで、かわいくて、自分で食べてしまいたいという程、入れ込むことが大事だね」といったのである。
 私は、<そうだ!>と思った。それ以来、私はそんな論文は1年に1つ書くことが精一杯であると思い、それを基準に仕事を続けて来た。昨今、ある分野では、40代半ばで教授になる時に論文の数は300を超えている!これは、20代後半で大学院の後半から書き始めたとしても、20年。1年に平均15編。月1-2編。2週間に1編。最近では週刊誌以上の論文生産である。これが、「チャーミングで自分で食べてしまいたい」という科学の醍醐味を味わえるものであろうか?毎日食する食事でさえ、本当においしい、と記憶に残るものはどれくらいある?
 くだらない加熱業績主義との付き合いは、そこそこにしていい仕事をしたいものである。それにしても忙しすぎる。これでは科学者も、国も滅びますぞ。本当に。
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