私がこのブログに掲載している映像は毎日の生活の中で、何かを感じて、シャッターを切った映像です。生活の行動範囲は決まった場所への行き帰りですから、何も特別なことなど起こりません。平凡な日々のなかで、「携帯で写真を撮る」行為そのものが、特別な事件になるでしょう。今年7月からの「携帯で写真を撮る」ことは今まで、30年もモノクロ写真を撮ってきた事が自分自身「こうあらねばならない」という写真定義には呪縛していたようにおもわれます。もっと自由に写真を撮っていっても良いと、この3ヶ月間の携帯写真行為は教えてくれているように思います。枠にはまった写真よ、さようなら
歳をとったせいで、なんだか街が呼びかけているような気がする。呼びかけに答えて写真を撮らせてもらうだけなんですが、頭が悪いせいで、ちっとも答えになっていないのが、オッサンの感性の無さのせいなんだけど、長い時間と努力を求めているようです。
歳を食うと、あちこちの関節が鈍痛をする。潤滑油が不足しているのか、無くなってしまったのか、困ったもんだ。頭の方も新しいことが覚えられない。学習能力が無くなっているらしい。老人力がついたといえば、聞こえがいいが?