人は言葉を喋って意思を伝えます。人は行動おこして意思をあらわします。でも人間は自分の意思で喋っているのは少ないのではないですかね。自分で言っているようで、マニアルが言わせているてことの方がおおいのではないでしょうか。正直に喋るとこの世では、生きていくのが難しいとおもいます。又行動でも他人に行動を強制されたり、強要されないまでも、金のため、仕事などで、自分が好きでない行動をしていることが多いのではないでしょうか。自由な行動が倫理的に良いとは思わないのですが、この世の中でいきていく事は、規制の中を生きていくということかもしれません。最近不可解な行動をとる少年や知事や教師が多いと思いませんか?多分何かのきっかけで、規制のタガが外れたのではないですかね。地方の権力の頂点になったり、親のはげしい言葉だったり、子供達の頂点になったことがタガがはずれるキッカケだったのかなぁ・・それとも規制がドンドン強くなりすぎていて、ほんの少しのきっかけではずれやすくなったのか?自分の意思は本当はこの世にあるのそして何処に隠れているのでしょう?内面は表と裏の関係で必ず存在するから、人間は厄介で奇妙なで面白い、そしてはかない、悲しい、どうしょうもない生き物
人に見せて、感動や何か特別な感情ををひきださせる物を制作しようとすると、長い時間を必要とするようです。写真は特に顕著です。現在では写真を撮る行為は誰でもが簡単にできます。簡単にできる行為のなかで、自分の思いを制作するのは、どうしても時間を人質にとられます。人生は長い時間があるようで、短いものです。制作も時間をかけたから良いというものでもありません。
時間は平等に進んでいきますが人によって、持っている時間は多少の違があるようです。それが自分自身では判っていないということが芸術を生み出す要素かもしれません。
時間は平等に進んでいきますが人によって、持っている時間は多少の違があるようです。それが自分自身では判っていないということが芸術を生み出す要素かもしれません。