なおじい(HOBBY:カメラ・ビデオ撮影・DVDオーサリング/資格:ラジオ体操指導員・防災士・応急手当普及員)

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1月12日「宮中歌会始め」~はじまりはいつ?和歌は音楽?

2018年01月12日 19時46分20秒 | ブログ

1月12日「宮中歌会始め」~はじまりはいつ?和歌は音楽?

 

2018年01月12日

 

1月12日「宮中歌会始め」~はじまりはいつ?和歌は音楽?

和歌をイメージする「古今集」という名の梅

七草、松明け、鏡開きと新年の行事が続いています。今日1月12日は、宮中で「歌会始(うたかいはじめ)」が執り行われる日です。すでに10時30分から始まりテレビ放送もされています。五・七・五・七・七の三十一文字で綴られる和歌を朗々と歌い上げる節回しが印象的な「歌会始(うたかいはじめ)」…今年のお題は「語」。「物語」や「~語」といった言葉をテーマに、一般にも広く募っていて、今年は最年少12歳から最年長82歳と、年齢層も幅広く選ばれています。この機会に、万葉の世から受け継がれてきた和歌についておさらいし、「言の葉」の妙に触れてみませんか?

 

 

「歌会始(うたかいはじめ)」の起源と変遷

「歌会」は、「万葉集」を参考にすると奈良時代には始まっていたのではないかと推察されますが、詳細な資料が残されていないため定かな年月までは不明です。記録として残っているのは、『外記日記』による文永4年(1267年)1月15日の「内裏御会始」に遡ります。現在、「歌会」と言いますが、古来、天皇がお催しになる歌会を「歌御会(うたごかい)」といいました。宮中では年中行事のほかに毎月「月次歌会(つきなみのうたかい)」が開催されていました。その後、江戸時代を経て明治維新後も継承され、明治7年(1874年)に一般の詠進が認められるようになり、明治12年(1879年)には、一般の詠進歌から優れたものを選歌し「歌御会始」で披講されるようになりました。これは和歌の裾野が広がる意味でも画期的なことだったと言えるでしょう。さらに、明治15年(1882年)から、天皇の御製(ぎょせい)を始めとした選歌が新聞に発表されるようになり、明治17年(1884年)からは官報にも掲載されるようになりました。この後、大正15年(1926年)の皇室儀制令制定により、名称が「歌会始(うたかいはじめ)」と改められて今に至ります。

「披講(ひこう)」に見る和歌の源泉

「歌会始(うたかいはじめ)」というと、特徴的な読み上げが思い受かぶことと思います。この読み上げを「披講(ひこう)」といいます。その役目はというと、1.和歌が書かれている懐紙(かいし)を広げて司会進行を行う読師(どくじ)、2.和歌に節をつけずに読み上げる講師(こうじ)、3.和歌の第一句に節をつけて歌いはじめる発声(はっせい)、4.第二句から合唱に加わる講頌(こうしょう)に分かれています。特徴的な節をつけた読み上げを歌う3.発生による独唱と4.講頌が加わる合唱がポイントです。現在では文学的な印象が強い和歌ですが、「和の歌」と書くことからもはじまりは歌唱・音楽だったことがわかりますね。「枕草子」などにも和歌の一部を吟ずる(歌う)場面が描かれていて、宮廷文化華やかなりしころからの伝承が「披講(ひこう)」に受け継がれていることがわかります。現在、その役割は旧華族の「霞会」に継承され、毎年「歌会始(うたかいはじめ)」で役割を分担されています。

「和歌」をランクアップさせた?紀貫之の「仮名序」

古来、男性は漢詩を、女性は和歌をたしなんでいました。当時、男性は漢字を読み書きするものであり、それを学ぶことができなかった女性が仮名文字を使って歌を詠むようになったのです。仮名文字と和歌は女性のものだったと言えるでしょう。その後、平安時代に『古今和歌集』に記載された紀貫之による「仮名序(かなじょ)」によりその存在は一変します。冒頭と後半の文章を引用しましょう。
「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなりにける。…力をもいれずして、天地をうごかし、目に見えぬ鬼神をもあはれとおもはせ、男女のなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは歌なり。」
現代語にすると「和歌は人の心を種として生い茂り、限りない言の葉となったものである。…力をも入れずに天地を動かし、目に見えぬ霊魂や天神地祇をしみじみと感じさせ、男女の仲をもやわらげ、勇猛な武人の心までもなごやかにさせる物は、歌である。」となります。
この「仮名序」により、和歌と大和言葉の存在が飛躍し、広まったことは言うまでもありません。紀貫之、グッジョブ!ですね。また、長い年月に渡り「和歌」が受け継がれていることは、生まれては消えるものが多い今、貴重なことだと思いませんか。私たちの日常においても、心なごやかになる「歌」に共通する「言の葉」は、貫之の仮名序が言わんとすることに繋がっているのではないでしょうか。

最強寒波いつまで?大雪と寒さの見通し

2018年01月12日 18時38分18秒 | ブログ

最強寒波いつまで?大雪と寒さの見通し

2018年1月12日

 
12日(金)15時の衛星画像と雪雲の様子

12日(金)15時の衛星画像と雪雲の様子

 
今シーズン最強寒波の猛威が続いています。明日(13日)も寒気が居座るため、日本海側は大雪に警戒を。朝は厳しい冷え込みが続き、全国約9割で氷点下。日中の予想気温も最高気温とは思えない数字が並びます。
 

◆雪の見通し

今シーズン最強寒波が猛威を振るっています。北陸地方を中心に記録的な大雪となり、列車や車の立ち往生など、交通機関に大きな影響を与えました。新潟市では昨日(11日)の朝まではほとんどなかった雪が、今日(12日)の午前9時には80センチの積雪に。金沢市でも昨日の昼頃から30センチ以上積雪が増えました。強い寒気に加え、日本海で風と風がぶつかって発達した雪雲が次々と北陸地方に流れ込み、平地でもこのようなドカ雪となりました。

明日、13日(土)にかけても北陸から山陰にかけて発達した雪雲がかかり、さらに積雪が増えそうです。多い所で13日(土)までの24時間に降る雪の量は北陸で70センチの予想です。引き続き、大雪による交通障害に警戒が必要です。四国や九州の大雪はピークを越えており、明日はやむ所が多くなるでしょう。

14日(日)には日本付近は高気圧に覆われるため、北陸から山陰の大雪のピークも越えて、次第に雪も収まりそうです。
 

◆寒さの見通し

寒波にすっぽりと覆われた日本列島は今朝(12日)は強烈な冷え込みとなりました。全国のアメダスのうち約9割で氷点下の冷え込みでした。北海道の上川地方の幌加内町では最低気温が氷点下25度2分まで下がり、凍裂(生きた大木が立ったまま、はじけるような音を立てて裂ける現象)が始まるような冷え込みに。東京も氷点下1度6分まで下がり、この冬一番冷えました。

明日(13日)朝も今朝と同じような冷え込みとなるでしょう。全国の約9割で氷点下の冷え込みとなる予想です。東京や名古屋、大阪、福岡と都市部でも軒並み氷が張るような冷え込みとなるでしょう。最高気温も今日(12日)と同じかやや高い程度で、各地で真冬の厳しい寒さが続く予想です。センター試験も行われますが、受験生の方は特に寒さ対策は万全に。手がかじかまないよう手袋やカイロも用意しておくと良いでしょう。

寒波は14日(日)頃まで居座り、朝の厳しい冷え込みと日中の震えるような寒さが続きそうです。ただ、来週になるといったん寒波は日本から撤退。寒さが次第に和らぎ、関東から西では気温が15度くらいまで上がる日もあるでしょう。