【全国の天気】太平洋側 乾燥注意報が続出!(19/01/07)
あすから再び大雪の恐れ 名古屋も雪か
2019年01月07日16:28
雪の降り方注意・警戒
東京も氷が張る寒さ
昭和天皇の逝去から30年 「式年祭」両陛下が参列(19/01/07)
奈良)美容師×綿菓子 小林聡さん
桜井健至 2019年1月6日03時00分
奈良市中心街の東向(ひがしむき)商店街の近くにある綿菓子店「pamba(パンバ) pipi(ピピ)」2号店。午前9時、開店準備が始まった。オーナーの小林聡(さとる)さん(43)が「わたがし、やってます」と書かれたのぼりを店の前に掲げ、店の前のベンチにクッションを置く。
巨大な綿菓子機を洗い終わると、午前10時が近づいた。次は餅飯殿商店街の近くにある美容室「k.kobayashi」に向かう。今度はこちらの準備にとりかかる。小林さんは美容師でもあり、綿菓子店のオーナーでもあるのだ。
奈良市出身。市立一条高校卒業後、歌手を目指して劇団の養成所に入ったが、なかなか芽が出ない。21歳のとき、床屋をしていた友人の母から「何か免許を持っていた方がいい」と言われ、大阪の美容師の専門学校に入学。東京や埼玉の美容室で働き、早朝や夜遅くに練習して腕を磨いた。
2008年に奈良に戻り、美容室を開いた。小林さん一人で接客し、座席はわずか二つ。お客さんも1日5~6人と決して多くはないが、「自分一人で好きにやりたいので、ちょうどいい大きさ」。
17年4月、いつものように美容室で接客していると、お客さんが雑誌を読みながら「今、綿菓子がすごいねんて」と話しかけてきた。雑誌をのぞき込むと京都の綿菓子店を紹介していた。大きいサイズでカラフルな見た目。いかにもおいしそうだった。
「こんなん奈良にもあったら面白いね。小林さんがやれば?」。お客さんが冗談で言ったであろうその言葉が頭から離れなかった。
奈良の町を綿菓子片手に観光する人たちの姿が浮かんだ。美容師歴約20年で、飲食店を開いたことはない。でも、挑戦してみたいと思った。
翌日、その店に向かった。一口食べ、きめ細かいフワフワとした食感に衝撃を受けた。店に許可をもらい、ザラメの配分や使うパウダーを研究。試行錯誤した末、その年の7月に美容室のすぐ近くにオープン。2号店も18年7月に開店した。
綿菓子は高さ約40センチで人の顔が隠れるほどの大きさ。奈良の老舗「砂糖傳増尾商店(さとうでんますおしょうてん)」の結晶が大きいザラメを使い、きめ細かい食感が特徴だ。フリーズドライした野菜や果物のパウダーで味付けし、抹茶やパイナップルなど約30種類の味から選べる。アルコールが含まれ、20歳以上限定の「清酒」味や「ラム酒」味も大人に人気だ。
放課後に友人と訪れた奈良市の高校3年谷口加奈さん(18)はいちご味を注文。「甘すぎず、ちょうどいい。イチゴの味もしっかりしています」。店の前で観光客が綿菓子を手に写真を撮るのも、すっかりおなじみの光景だ。
「美容師も綿菓子も、どちらもお客さんの喜ぶ顔を直接見られるのがいいですね」と小林さん。「子どもが綿菓子を持って東向商店街を歩く姿を見ると、最高にうれしい。忙しくても両方続けようと思えます」
昭和天皇の歌、磨いた跡見つかる 側近の「清書」に朱字
2019年1月7日03時17分
昭和天皇が鉛筆で和歌を推敲(すいこう)したとされる罫紙(けいし)とともに、その歌を側近の徳川義寛(よしひろ)侍従長(当時)が写し取ったとみられる毛筆の書が見つかった。歌の相談役の歌人・岡野弘彦さんから助言をもらうため、徳川氏が「清書」したものだという。毛筆の書は昭和天皇と近しかった人が保管していた。徳川氏の遺族も徳川氏の文字だと話した。
7日で昭和天皇逝去から30年。朝日新聞が先日報じた昭和天皇のメモ8枚と罫紙29枚に加え、今回徳川氏の毛筆の書が確認されたことで、昭和天皇が心に浮かんだことをまずメモに書き留め、それを罫紙で推敲、側近が清書して相談役の助言を受けて完成させる――という歌づくりの流れが具体的に見えてきた。
岡野さんによると、当時、側近は原則、天皇直筆の原稿ではなく、側近自身が毛筆で写し取ったものを持参してきていたという。
今回の毛筆の書は、昭和天皇が使っていたものと同様の「宮内庁」の文字が入った罫紙15枚、裏表30ページ。ひもで右端がくくられており、1986(昭和61)年3月から秋ごろまでに詠んだ和歌計58首が記されている。内容は、29枚の罫紙にある同時期の歌と同じものが大半で、メモの中にも共通する言葉が確認できた。
たとえば、昭和天皇の直筆の罫紙にある歌「うれはしき病となりし弟をおもひかくしてなすにゆきたり」。86年夏に肺がんとわかった弟・高松宮を思う歌だが、毛筆の書では「おもひかくして」の脇に朱で「(おもひつつひめて)」「秘」と書き込まれている。朱は清書を見た相談役からの助言とみられ、歌集「おほうなばら」で公表された際には「おもひつつ秘めて」となっていた。
また、86年4月の在位60年記念式典の際の歌「國民の祝ひをうけてうれしきもふりかへりみればはづかしきかな」は、毛筆の書では「はつかしき」の脇に朱で「おもはゆき」と書き込みがあった。
象徴天皇制を研究する河西秀哉・名古屋大大学院准教授はメモと罫紙、毛筆の書をすべて確認し「三つの資料があることで、歌が表に出るまでにどのようなポイントを変更したのかがわかる。変更は和歌としての形式を重んじてなされているが、変更前の歌の方がより天皇の直接の感情が表現されている」と話した。
今回明らかになった一連の文書について「独特の字や率直な感情表現などがわかり衝撃的。私的な文書の価値が改めてわかる発見だ。今後も、可能な限り国民の財産として公開されればと思う」と話した。