私自身、バスケットボールの経験はありませんが、高校生当時、出身校のバスケ部が強かったこともあり、卒業後に大学や実業団(日本リーグ)で活躍する友人も沢山いました。
当時は会社帰りによく試合の応援に行ったりしたもので、経験が無いわりには身近な感じがするスポーツのひとつです。
「bjリーグ」とは2005年に発足したプロバスケットボールリーグで、当時は「トヨタ自動車」や「アイシン」などが所属する日本バスケットボールリーグ「JBL」を運営する日本バスケットボール協会との間にもの凄い確執があったそうです。
JBL所属チームは「bjリーグ」の選手と一切接触してはならないという規律まで設けられ、たとえ学生時代に同期・先輩・後輩などの関係にあっても手紙やメールなどの交流まで制限するという徹底ぶり。
これは、実業団をはじめ中学校や高校・大学などの各学生リーグも傘下にする日本バスケットボール協会の「やれるもんならやってみろ」的な抵抗だったと思われます。
もちろん、「bj」所属の選手が日本代表に選出されることなどありえない事でした。
とんでもない凄まじい環境からスタートした「bjリーグ」も6シーズンが経過。
現在では、日本バスケットボール協会とも関係正常化に向かって進んでおり、激動の6年を経て、やっと利権を超えた真のスポーツの世界に落ち着こうとしています。
前置きが長くて「すいません!」
まぁ…日本のバスケットボール界には、実は裏でこんなことがあったのです。
そんな16チームが所属する「bjリーグ」のファイナルが「有明コロシアム」で開催され、ウエスタンカンファレンスの1・2位チームとイースタンカンファレンスの1・2位の上位4チームによるセミファイナル2試合が行われました。
「bjリーグ」は外国人選手が主体で、アジア人を除く外国人が同時にプレー出来る「外国人オンザコート」が3人。高さ、スピード共に迫力は別格。
外国人選手同士のコンビネーションによるダンクシュートの迫力も、まるで本場NBAのゲームを観ているかのよう…
日本人選手は主にガードポジションで活躍しており、浜松の大口選手や新潟の澤岻選手、沖縄の小菅選手など、大きな外国人選手の中でもクレバーな動きをしていました。
明日はセミファイナルを勝ち抜いた、連覇を狙う「浜松」と王座奪還を狙う「沖縄」が日本一を目指して対戦。
テレビでゆっくり観戦させていただこうと思います。
当時は会社帰りによく試合の応援に行ったりしたもので、経験が無いわりには身近な感じがするスポーツのひとつです。
「bjリーグ」とは2005年に発足したプロバスケットボールリーグで、当時は「トヨタ自動車」や「アイシン」などが所属する日本バスケットボールリーグ「JBL」を運営する日本バスケットボール協会との間にもの凄い確執があったそうです。
JBL所属チームは「bjリーグ」の選手と一切接触してはならないという規律まで設けられ、たとえ学生時代に同期・先輩・後輩などの関係にあっても手紙やメールなどの交流まで制限するという徹底ぶり。
これは、実業団をはじめ中学校や高校・大学などの各学生リーグも傘下にする日本バスケットボール協会の「やれるもんならやってみろ」的な抵抗だったと思われます。
もちろん、「bj」所属の選手が日本代表に選出されることなどありえない事でした。
とんでもない凄まじい環境からスタートした「bjリーグ」も6シーズンが経過。
現在では、日本バスケットボール協会とも関係正常化に向かって進んでおり、激動の6年を経て、やっと利権を超えた真のスポーツの世界に落ち着こうとしています。
前置きが長くて「すいません!」
まぁ…日本のバスケットボール界には、実は裏でこんなことがあったのです。
そんな16チームが所属する「bjリーグ」のファイナルが「有明コロシアム」で開催され、ウエスタンカンファレンスの1・2位チームとイースタンカンファレンスの1・2位の上位4チームによるセミファイナル2試合が行われました。
「bjリーグ」は外国人選手が主体で、アジア人を除く外国人が同時にプレー出来る「外国人オンザコート」が3人。高さ、スピード共に迫力は別格。
外国人選手同士のコンビネーションによるダンクシュートの迫力も、まるで本場NBAのゲームを観ているかのよう…
日本人選手は主にガードポジションで活躍しており、浜松の大口選手や新潟の澤岻選手、沖縄の小菅選手など、大きな外国人選手の中でもクレバーな動きをしていました。
明日はセミファイナルを勝ち抜いた、連覇を狙う「浜松」と王座奪還を狙う「沖縄」が日本一を目指して対戦。
テレビでゆっくり観戦させていただこうと思います。
というのは、誰かに聞いたことがありますが、そんな経緯があったのですね。勉強になりました。
ちなみに中学時代、私はバレー部に所属。
なぜか体育館使用権が、水曜=バレー部、それ以外=バスケ部と不公平な規則でした。当然、バスケ部とは反目しあってました。
今となっては、懐かしい思い出です^^
せめてスポーツの世界は、純粋にスポーツの発展のために進んでいってもらいたいものです。