車で行く寺社仏塔とA級B級すぽっと!
寺社、仏塔を中心に、車で行くA級B級スポット巡りです!
 



十何年ぶりで江南市にある「布袋の大仏」。数年前から「サングラス大仏」とか「パリピ大仏」とかでネットやTVで話題になっています。名鉄犬山線の警報機が大仏さんの目の位置に来るように見ると・・・。同じように撮影してみました。iphoneで十分に撮れます。なお、撮影場所は近くの墓地付近なので、静かに、周りに迷惑がかからないようにする必要アリです。

 

高さ18mは奈良の大仏より大きくて迫力!色褪せた市のポスターにも、「サングラスをかけた・・」みたいなことが書いてあります。

 





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このところ、けっこう近場の城址やその菩提寺に行ったりしたわけで、まあ、御城印があれば買っているのですが、まだまだ公式のものが無い城も多いようです。もともと御朱印と違って、通常は書いたものを買うので、記念にさえなれば良いもの。無いところは自作でもするかあ・・。と思っていました。しかし、うまく創る人がいるものですね。ヤフオクで売っているではないですか!これはアリですね。公式のものよりも公式っぽい!和紙を使ってるし、値段も300円。私が自作で作るよりも安く上がるので購入させてもらいました。猿ばみ城の御城印と、美濃小倉城の御城印です。

 



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岐阜県美濃市にある小倉山城跡(おぐらやまじょうし)。美濃市HPによると、「関ケ原の合戦で武功を上げた金森長近が、大野城(福井県大野市)・高山城(岐阜県高山市)に次いで、慶長6年(1601年)に隠居城として築きました。」とあります。隠居のために建てたので、山頂ではなくて山の途中に本丸跡があって、辺りは小倉山公園となっており、駐車場はそこに100台分ほど(無料)あります。写真は隅櫓のあった場所に建てた模擬櫓。

 

山頂までは10分程度登れば到着。特に急な階段はありません。三階建ての立派な櫓風の展望台があります。なお、公式の御城印はまだありません。

 

展望台からの景色はなかなかきれいで、すぐ下に見える赤い橋は、現存する最古の近代吊り橋(やや複雑な表現だ!!?)として重要文化財となっている「美濃橋」。反対側は城下町で、こちらは「うだつのあがる町並み」として、現在は城址よりも有名です。

 

「金森長近公」の菩提寺、「清泰寺」(せいたいじ)は徒歩5分。いくつかのお堂が立ち並ぶ結構デカイ臨済宗のお寺で、金森長近を祀る金森大明神があるほか、奥には古いお墓(市文化財となっていたが、ようわかりませんでした)がありました。

 

こちらが金森長近を祀る金森大明神、と本堂

 

横にあるお堂?、その奥に古いお墓群。

 

 

一応久しぶりに「うだつの上がる町並み」へ行ってみます。車で1分。駐車場は2時間以内100円。町からはもちろん、小倉山が見えます。文化財級の家がいくつか残る街ですが、食べ歩きとかできるところが無いぶん、すいている感じです。


 
 









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022年1月3日は金沢。天気予報からして、よっぽど寒くて雪も多いのかと思っていたら、全然。北陸道途中の賤ケ岳から小松辺りまでのほうが雪が多く、高速道路上には全くありませんでした。さて、車(V40)は駅近くに置いて、兼六園まで歩きます。写真は金沢駅と金沢城。

 

さてこの日は無料開放の兼六園。このブログでは園内の石塔について書いておきます。まずは栄螺山(さざえやま)という10mもない丘の上にある三重塔!「金沢めぐりとっておき話のネタ帖」という本によると、「栄螺山は霞ヶ池の排土を盛り上げで築かれた人工の山で、天保8年(1837)13代藩主斉泰公の指示で、竹沢御殿を取り壊し、霞ヶ池が広げられ栄螺山が築き足されました。天保10年(1839)には山頂に三重宝塔が建立されます。三重宝塔は、先代斉広公の正室真龍院と斉泰公の生母で側室栄操院が斉広公の供養のために建立したもの」だそう。要するに藩主の供養塔みたいですわ。栄螺山というのは福島の「さざえ堂」などと同じ仏教関係からきているんでしょう。雪の残る中でここまで登ってくる人少ないですけど・・・(^^;)。

 

もう一つの石塔は海石塔(かいせきとう)。実に不思議で面白いかたちの石塔で、しかも珍しい六重塔。高さは4mほどで、6つある傘石が海の中にあった石なので海石塔と呼ばれるそう。元々は金沢城にあったようですが、誰がどうしてこのような形にしたかは諸説あります。

 

いいですね、こういう謎が多いのは!






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