今月6日開催のチェコ・プラハ・マラソン。
今回はいつもとは少し違った意味で思い出に残る大会となりました。
↓今回サポートさせて頂いた石川末廣選手(Honda・写真向かって右から3人目)。
私が以前(もう10年以上前、、)コーチングスタッフの一人としてHonda陸上部に
在籍していた当時、選手として入社してきた選手。私がHondaを退職後も幾度となく
彼の海外レースをサポートしてきました。
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↓学生時代それほど目立った実績はなく、入社後も20代の頃は故障が多く年間通して試合に
出続けることがなかなか出来なかった石川選手でしたが、本人の地道な努力とチームスタッフの
粘り強い指導やサポートが実を結び2012年に32歳で挑んだ初マラソンで2時間11分13秒を
マーク。その後、サブテンを3回。16年にはリオ五輪のマラソンにも出場した苦労人ランナーです。
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↓今レース、38歳で迎えた自身9度目のマラソン。前半は余裕を持って自己新ペースで進む
第2集団でレースを展開したもの、後半は暑さと石畳の路面に徐々に力を奪われペースダウン。
それでも入賞ラインの8位は死守。日本の若い選手に多くを学んでもらいたい選手の一人です。
レース後は既に次の戦いに向けて闘志を燃やしていました。
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↓エリート選手コーディネーターのヤナ・モベリー氏。
約8年前、私が代理人の仕事を初めて間もない頃、知り合い、その後、彼女が携わるチェコの
ロードレースに初めて日本人選手を受入れてもらってから、毎年彼女の会社が主催する大会に
日本人選手を連れてチェコを訪れるようになりました。彼女もまた私や弊社インプレスランニングに
とって、忘れることのできない人物の一人です。
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↓モベリー氏をはじめ顔馴染みの同大会主催者スタッフらと秋のレースでの再会を約束し、
プラハの地をあとにしました。
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弊社インプレスランニング・公式ウェブ・サイト。
今回はいつもとは少し違った意味で思い出に残る大会となりました。
↓今回サポートさせて頂いた石川末廣選手(Honda・写真向かって右から3人目)。
私が以前(もう10年以上前、、)コーチングスタッフの一人としてHonda陸上部に
在籍していた当時、選手として入社してきた選手。私がHondaを退職後も幾度となく
彼の海外レースをサポートしてきました。
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↓学生時代それほど目立った実績はなく、入社後も20代の頃は故障が多く年間通して試合に
出続けることがなかなか出来なかった石川選手でしたが、本人の地道な努力とチームスタッフの
粘り強い指導やサポートが実を結び2012年に32歳で挑んだ初マラソンで2時間11分13秒を
マーク。その後、サブテンを3回。16年にはリオ五輪のマラソンにも出場した苦労人ランナーです。
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↓今レース、38歳で迎えた自身9度目のマラソン。前半は余裕を持って自己新ペースで進む
第2集団でレースを展開したもの、後半は暑さと石畳の路面に徐々に力を奪われペースダウン。
それでも入賞ラインの8位は死守。日本の若い選手に多くを学んでもらいたい選手の一人です。
レース後は既に次の戦いに向けて闘志を燃やしていました。
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↓エリート選手コーディネーターのヤナ・モベリー氏。
約8年前、私が代理人の仕事を初めて間もない頃、知り合い、その後、彼女が携わるチェコの
ロードレースに初めて日本人選手を受入れてもらってから、毎年彼女の会社が主催する大会に
日本人選手を連れてチェコを訪れるようになりました。彼女もまた私や弊社インプレスランニングに
とって、忘れることのできない人物の一人です。
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↓モベリー氏をはじめ顔馴染みの同大会主催者スタッフらと秋のレースでの再会を約束し、
プラハの地をあとにしました。
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弊社インプレスランニング・公式ウェブ・サイト。