今日の昼飯は、今年になって初の「海見の弁当」でありましたが、まぁ風が強いこと冷たいこと、浜辺を散歩する気にはまったくなりませんでした。(笑)
今年に入り(いや昨年末から?)晴天に恵まれ?先日の雪の薄化粧以外雨らしい雨はまったく降っていません。乾燥注意報が出っぱなしは毎年のことであるにしても、この乾燥はチトきついように思います。日本海側の雪を雨に変えて少々わけてもらうわけにはいきませんかねぇ
さても、こんな時は風邪が怖いわけで、特にナイーブで繊細な私としては、手洗いうがいはもとより予防に努めなければいけません。
「あんたの場合、深酒にだけ気を付ければ心配はナイーブ」
なんじゃそりゃ
もう一つ、注意をせねばイカンのは火の元でありますねぇ
禁煙のおかげで寝たばこの危険だけは回避しておりますが、ちょっとした火元でもこの乾燥と風をもってすれば大火へと変貌するのは必定、気を付けましょう。
大火といえば、今日1月18日は、江戸の三大火のひとつ『明暦の大火』が起きた日なんだそうですね。いわゆる『振袖火事』であります。
時は慶応三年春のこと、麻布百姓町で質屋を営む遠州屋の一人娘、梅野といううら若き子町娘が、母に連れられ菩提寺本郷の本妙寺に参詣に出掛けました。
無事お詣りも済ませ
「梅野や、せっかくここまで来たのだから、浅草の観音様にも詣っていこうかいね」
てなもんで、駕籠に揺られて行きますってぇと
「こんな日和に駕籠は野暮」
ってとこでしょうか、上野池の端仲町の錦袋園の辺で駕籠を降り、親子二人ぶらぶらと歩くことにいたしました。
しばらく行きますてぇと
「・・・・・・・(ポ~~~~)」
突然梅野は足を止め、上野山の方を眺めております。
「これ梅野、どうしちゃったんだいポーッとしちゃって」
若い娘がポーッとする原因なんてぇもんは、今も昔もさほど違いがないもんで、美味しいスイーツか美男子に目を取られる以外ありません。
梅野の場合は斎藤佑樹ばりの寺小姓とすれ違ったのが原因でありました。
以来、梅野は寝ても覚めても「佑ちゃん・・・・・」てなもんで、食事すら喉を通らないありさま。
心配した両親は、八方手を尽くし佑ちゃんの居所を探しますがてんで手がかり無し、日ハムの寮は当時ありませんでしたしねぇ、困ったもんだ。
それでも想い続ける梅野さん、終いにゃ
「愛しき佑ちゃんに逢えぬなら、せめてあのユニフォームを・・・」
なんてぇことまで言い出すもんだから、不憫に思った両親が日ハムのユニフォームを・・・違う違う、あの日確かに寺小姓が着ていた、紫縮緬の畝織の、荒磯と菊の模様を染め、桔梗の縫紋を置いた柄の振袖を作ってあげたんでありますねぇ。
「これにでも袖を通して気を紛らしておくれ」
ところが、両親の想いも虚しく、恋患いが原因か梅野は翌年1月16日に息を引き取ったのでありました。
両親は悲しみに暮れながらもその振袖で棺を蔽い梅野を送り出したのですが、当時、副葬品は寺の湯灌場で働く者たちがもらっていいことになっていたそうで、その振袖もけっきょく売り飛ばされることにあいなります。
するとその翌年、梅野の祥月命日にあたる日に、上野山下の紙商大松屋又蔵の娘、きのが亡くなり、その棺にはあの振袖が掛けてありました。
住職もここで気が付きゃいいもんを、また、売り飛ばしちゃいまして、
またまた、その翌年、同月同日に本郷元町粕屋喜右ェ門の娘、いくの棺に同じ振袖が掛けられ寺に戻ってきました。
さすがにこうなるとほっとけない、住職は三人の娘の両親と相談して「こりゃなんかあるから、この振袖を供養することにしましょうや」ってぇことになったんですなぁ。
明暦三年1月18日、本郷丸山本妙寺で、大施餓鬼を修し燎火にこの振袖を投じて焼くのでありますが・・・・・・
火の中へ振袖を投じた瞬間、一陣の竜巻がぁ(ベベンベンベン)
さながら人が宙を舞うがごとく火の着いた振袖が空を飛ぶと、本堂の軒に「ナイスオン!」
あっという間に火は燃え広がり、おりしも乾燥注意報発令中のお江戸は火の海へと・・・・・・・
これが世に云う『振袖火事』のあらましであります。
この『明暦の大火』、湯島から神田明神、駿河台の武家屋敷、八丁堀から霊岸寺、鉄砲州から石川島と燃え広がり、日本橋・伝馬町まで焼き尽くしたっていいますから、大変な火事ですよね。まっ今はこれほどまでの大火になる事は無いでしょうが、
そこの奥様、あんまりテレビに映る佑ちゃんの勇姿に見とれたりしていると、ほら、油がコンロにかけっぱなしですよ。(笑)
「火の用心さっしゃりませ!」
さて、今日の一枚は、ジャズ・メッセンジャーズです。
定番の「チュニジアの夜」といってもブルーノート盤ではなく、RCA盤です。
このRCA盤は、とかくブルーノート盤と比較されがちですが
「今まで演奏した集大成の「チュニジアの夜」を演奏しよう!」と並々ならぬ意気込みと、ウエイン・ショーターという、ジャズ・メッセンジャーズの一時代を築いた音楽監督が参加したブルーノート盤と比較する必要は私は無いと思ってます。
何故なら、ビル・ハードマン、ジャッキー・マクリーン、それにジョニー・グリフィンという三管の魅力は、リー・モーガン、ショーターという二管とは別ものとして聴くべきもののように感じるからです。
とはいえ、先に買うとすれば、ブルーノート盤を勧めるんですけどね。(笑)
全体に光っているのはグリフィンでしょうか、じつに目立ってます。一方マクリーンは、この時すでに実質メッセンジャーズを離れていたせいでしょうか、若干控えめのように思います。それでもB面ひっくり返して「THEORY OF ART」なんか聴くと、さすがマクリーンと私なんかは思ってしまいますがいかがでしょ?
ともかく、ブルーノートに同名の傑作盤があるだけに、少々影が薄い一枚であるとは思いますが、聴いて損のあるアルバムでは無いと思います。
A NIGHT IN TUNISIA / ART BLAKEY
1957年4月8日録音
ART BLAKEY(ds) BILL HARDMAN(tp) JACKIE McLEAN(as) JOHNNY GRIFFIN(ts) SAM DOCKERY(p) JIMMY DeBREST(b)
1.A NIGHT I TUNISIA
2.OFF THE WALL
3.THEORY OF ART
4.COULDN'T IT BE YOU ?
5.EVANS