赤い彷徨 part II
★★★★☆★☆★★☆
再起動、します
 



前回からのつづき)

道後温泉の宿のチェックインして周辺を散策した後、早速道後温泉本館へ。明治時代に建てられたもので、当時の町長が多くの反対を受けながらも「100年たっても真似の出来ない物を造ってこそ意味がある、人が集まれば町が潤い、百姓や職人の暮らしもよくなる」と住民を説得して莫大な予算をかけたもので、鉄道整備とあわせ道後温泉を一大観光地に仕立て上げた、というのがNHK「ブラタモリ」における大まかな分析だったかと。写真は館内で文豪夏目漱石が使用したという「坊ちゃんの間」にあった漱石の肖像。松山中学で教鞭を執り、松山を舞台にした「坊っちゃん」を記したのはもはや説明不要かもしれません。



この日は「神の湯」にしたのだったと思いますが、いずれにせよ2階席からの眺め。入浴前に上記「坊っちゃんの間」に加え、「又神殿(ゆうしんでん)」という明治天皇や昭和天皇もおいでになったという皇室専用の湯殿にも係の方に案内していただきました。



蜷川さんテイストがそこかしこに映り込みます。この日は近くの中学校の写生会だったようで、この本館を描く学生さんの姿もちらほら。しかしこれはもう相当描き甲斐があるでしょうね。自分が中学生の頃の写生会で描いたのは熊谷税務署ですからね(笑)…雲泥の差です。



入浴後は前回ご紹介した湯神社を参拝。12代景行天皇の勅命により建立されたと言われているようです。その昔天災により道後温泉の湧出が止まったことがあり、こちらの社で「湯祈祷」を行ったところ再び湧出が始まったとの言い伝えがあるのだとか。こちらにも写生会の中学生の皆さんの姿がありましたが、観光客の我々にも元気よく挨拶してくれました。



館内の能書きにもあったのですが、「伊予国風土記」によれば、記紀など神話において天照大御神系の天津神に「国譲り」をし、出雲大社に祀られている大国主命(おおくにぬしのみこと)が、その大国主命とともに国造りをした少彦名命(すくなひこのみこと)とともに伊予国を訪れたことがあったようで、その際、少彦名命が急に体調を崩してしまったことがあった。



大国主命は少彦名命のために大分の速見の湯を伊予国に引き、小さな身体で一寸法師のモデルとの説もある少彦名命を掌に乗せてその温かい湯で入浴させると、調子を取り戻した。少彦名命は体調回復の喜びの余り、そこにあった石の上に立って踊った。そしてその少彦名命が躍ったとされる「玉の石」は、道後温泉にありました(撮影失念)。



湯築城跡をじっくり見られなかったのが個人的には心残りでしたが、ともあれこの後一泊して再び香川県に戻ります。

(つづく)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )