私の場合は子供の頃の趣味の延長、あるいは再開なので、あんまり考えたことがなかったが、どうも、人形遊びというのはバージョン?があるらしい。
おままごとの子供役、とかにもあるような、持ち主が人形に話しかけたりして、密接に関わりあうタイプ。
これと反対に、人形は人形の世界があり、人間は人間の世界があり、持ち主は着替えさせたりはするが、人形は持ち主の存在を意識していない?と思うタイプ。
基本的に私は後者。なので、人形劇をやっても「自分」はその世界に入り込めない。
ブログなどで、「オーナー代理」として代わりの人形を使ったりしているところがあるが、これすらできない。
なぜなら、その「オーナー代理」を務めるところの人形も、ひとつの人形であるから。
私としては、「密接に関わりあうタイプ」が羨ましい。
うちの娘たちがみんな持ち主である私のことを好き、と思えたらどんなにいいだろう。
自分の代理の人形を入れて、人形劇ができたらどんなに楽しいだろう。
いや、代理の人形がなくてもいい、私を見つめてくれると思えるお人形がいたらどんなにいいだろう。
まさに漫画の『観用少女』のような…。
うちの人形に、意志があるとして。
人形たちに自分が嫌われているとは思っていないが、好かれているとも思わない。基本的に私は黒子。
着せ替えをしようが、写真を撮ろうが、人形は私を見ていない。
人形たちは、私を見ているようでどこか知らないところを見ている。
お互い同士は見ているようだが、人間などには興味がないように見える。
…まぁ、人形はそういうものかもしれないが。
ガラスやアクリルで作られた目は、ひとの目と違って、意志を宿すことはない。
「もの」だから当たり前なのだが、「ひとがた」であるので、意志を持つような気がしてしまう。
それなのに、その意志を示す目に何もないから、時に人形は不気味に見える。
とはいえ自分自身の生まれつき?の遊び方はどうにもならないので、『観用少女』は憧れだな~、と思いつつ、自分の遊び方で遊んでいる。
私は人形を着せ替えて、「ああ綺麗だな、似合うな」と喜び、人形はそれを反映して喜んでいるように見えるが、意志があると仮定しても、きっとうちの人形たちは着せ替えられていることに何も感じないし、自分の着せ替えをする存在がいるということも認識していないだろう。
…その目は私を見ていないのだから。
そういう訳で、アンティークドールであれSDであれDDであれ、運良く購入できた子を「私を選んでくれた子」とは到底思えない。
そもそもこっちを見ていない訳だし。
「ご縁があって買えた子」…くらいかな。
とはいえ綺麗な子は好きだ。
互いに干渉するような付き合い方は、どんなに羨ましくてもできないので、必然として人数が増える。
が。
先日、初めて「連れてって」と訴えられたような気がする人形に「会った」。
ホビードールなのでそれなりの値がするが、基本は大量生産の市販品。
箱に入ってガラスケースに入っている時には何も感じなかったのに、顔を見たいな、なんて思って開けて貰ったら、「連れてって」と訴えられた気が、初めてした。
…購入予定ではなかったのに、購入。
この子だけは、何故か買った時から満足げ。
店に居たときは不安げだったのに。
そして私を見つめている気がする。
…こんなことを書くと、「その人形、何か入っているのか」といわれるか、「葉月は頭大丈夫か」と思われるかだが、自分でも不思議なのだからどうしようもない。
おそらく、その人形のアクリルアイのデザインが、こちらを見つめているように見えるからだとは思う。
でも「見つめている」と思える人形というのが、意志を持って見える、というのを初めて経験して、ややとまどっている。
おままごとの子供役、とかにもあるような、持ち主が人形に話しかけたりして、密接に関わりあうタイプ。
これと反対に、人形は人形の世界があり、人間は人間の世界があり、持ち主は着替えさせたりはするが、人形は持ち主の存在を意識していない?と思うタイプ。
基本的に私は後者。なので、人形劇をやっても「自分」はその世界に入り込めない。
ブログなどで、「オーナー代理」として代わりの人形を使ったりしているところがあるが、これすらできない。
なぜなら、その「オーナー代理」を務めるところの人形も、ひとつの人形であるから。
私としては、「密接に関わりあうタイプ」が羨ましい。
うちの娘たちがみんな持ち主である私のことを好き、と思えたらどんなにいいだろう。
自分の代理の人形を入れて、人形劇ができたらどんなに楽しいだろう。
いや、代理の人形がなくてもいい、私を見つめてくれると思えるお人形がいたらどんなにいいだろう。
まさに漫画の『観用少女』のような…。
うちの人形に、意志があるとして。
人形たちに自分が嫌われているとは思っていないが、好かれているとも思わない。基本的に私は黒子。
着せ替えをしようが、写真を撮ろうが、人形は私を見ていない。
人形たちは、私を見ているようでどこか知らないところを見ている。
お互い同士は見ているようだが、人間などには興味がないように見える。
…まぁ、人形はそういうものかもしれないが。
ガラスやアクリルで作られた目は、ひとの目と違って、意志を宿すことはない。
「もの」だから当たり前なのだが、「ひとがた」であるので、意志を持つような気がしてしまう。
それなのに、その意志を示す目に何もないから、時に人形は不気味に見える。
とはいえ自分自身の生まれつき?の遊び方はどうにもならないので、『観用少女』は憧れだな~、と思いつつ、自分の遊び方で遊んでいる。
私は人形を着せ替えて、「ああ綺麗だな、似合うな」と喜び、人形はそれを反映して喜んでいるように見えるが、意志があると仮定しても、きっとうちの人形たちは着せ替えられていることに何も感じないし、自分の着せ替えをする存在がいるということも認識していないだろう。
…その目は私を見ていないのだから。
そういう訳で、アンティークドールであれSDであれDDであれ、運良く購入できた子を「私を選んでくれた子」とは到底思えない。
そもそもこっちを見ていない訳だし。
「ご縁があって買えた子」…くらいかな。
とはいえ綺麗な子は好きだ。
互いに干渉するような付き合い方は、どんなに羨ましくてもできないので、必然として人数が増える。
が。
先日、初めて「連れてって」と訴えられたような気がする人形に「会った」。
ホビードールなのでそれなりの値がするが、基本は大量生産の市販品。
箱に入ってガラスケースに入っている時には何も感じなかったのに、顔を見たいな、なんて思って開けて貰ったら、「連れてって」と訴えられた気が、初めてした。
…購入予定ではなかったのに、購入。
この子だけは、何故か買った時から満足げ。
店に居たときは不安げだったのに。
そして私を見つめている気がする。
…こんなことを書くと、「その人形、何か入っているのか」といわれるか、「葉月は頭大丈夫か」と思われるかだが、自分でも不思議なのだからどうしようもない。
おそらく、その人形のアクリルアイのデザインが、こちらを見つめているように見えるからだとは思う。
でも「見つめている」と思える人形というのが、意志を持って見える、というのを初めて経験して、ややとまどっている。