つれづれごと。

SD他、管理人葉月の日常の中で思うことを綴ります。※SDに関しては、必ず5/29「はじめに」をお読み下さい。

こころの問題。

2014-04-07 13:27:49 | 日常雑記

基本的には、結婚してからは平和な毎日を過ごしているし、多少生きづらさを感じていても、何とかこなしていた筈なのに。

乳癌になって、ホルモン剤治療が始まったら、感情の統制がとれずぼろぼろに。

そして、心療内科でカウンセリング。病気を悩んでいるのではなく、…感情の統制を取り戻したい、というような感じだった。ややあいまいな感じ。

それが、一年が経過した今、…いろいろ、変わった気がする。

気が楽になった。どこにいても、自分がいていいだろうかとおろおろする感じが少なくなってきた。

できないことも、うまく振る舞えないこともあるけど、それはそれでいいさ、と思えるようになってきた。やっていれば、少しずつできるようになる。

いい年して、と思われるかもしれないが、それもどうでもいいこと。相手の気持ちは変えられない。

お金とも、うまくつきあえるようになってきた?感じ。いままでは丼勘定だったけど、きっちり家計簿をつけて、きちんと会計が合う気持ちよさ。以前は色んな面で、神経質なほど几帳面な割に、信じられないほどずぼらだった。

それと同時に、物欲も減った。

今でも、見れば素敵だな、いいな、と思う気持ちはあるけど、必要か必要でないか、考えられるようになった。

もちろん、どうしても欲しいもの、はあるけど。でも、以前のように、あれもこれも、という感じではない。

買えないことに、苦しさを感じる訳でもない。いや、少しはいいなぁとは思うけど、以前はちょっと…きつかった。

こうやって書いてみると、すべてはこころの問題なんだ、と思える。

いわゆる、「こころのもちよう」ではない。

感情を押し込めたり、我慢したりし続けたりすると、自分が何を感じていたのか分からなくなる。

麻痺してしまったこころは、でも、なくなった訳ではないから、ずっと自分自身に影響し続ける。

まるで毒のように。こころを、からだを、ずっとむしばみ続ける。

その毒を吐き出してしまうことができると。

それだけで、からだもこころも、ずっと楽になる。

こうなって、初めて「こころのもちよう」を考えられるのだ。

大多数のひとはそう感じない。あるいは、それではいけない。とかいうことを学ぶことも必要だけど、まずは「自分がどう感じたか」をきちんと味わうこと。

それから、大多数のひとはそれをどう感じるか、どう感じたらいいか、という技術を学ぶ。

それから、その技術に従って生活する。

最初は変な感じだけど、その方が楽なことが、だんだんわかってくる。

たいていのことは、こころの問題と、セットになっているのだと。最近、そんな風に思う。

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