基本的には、結婚してからは平和な毎日を過ごしているし、多少生きづらさを感じていても、何とかこなしていた筈なのに。
乳癌になって、ホルモン剤治療が始まったら、感情の統制がとれずぼろぼろに。
そして、心療内科でカウンセリング。病気を悩んでいるのではなく、…感情の統制を取り戻したい、というような感じだった。ややあいまいな感じ。
それが、一年が経過した今、…いろいろ、変わった気がする。
気が楽になった。どこにいても、自分がいていいだろうかとおろおろする感じが少なくなってきた。
できないことも、うまく振る舞えないこともあるけど、それはそれでいいさ、と思えるようになってきた。やっていれば、少しずつできるようになる。
いい年して、と思われるかもしれないが、それもどうでもいいこと。相手の気持ちは変えられない。
お金とも、うまくつきあえるようになってきた?感じ。いままでは丼勘定だったけど、きっちり家計簿をつけて、きちんと会計が合う気持ちよさ。以前は色んな面で、神経質なほど几帳面な割に、信じられないほどずぼらだった。
それと同時に、物欲も減った。
今でも、見れば素敵だな、いいな、と思う気持ちはあるけど、必要か必要でないか、考えられるようになった。
もちろん、どうしても欲しいもの、はあるけど。でも、以前のように、あれもこれも、という感じではない。
買えないことに、苦しさを感じる訳でもない。いや、少しはいいなぁとは思うけど、以前はちょっと…きつかった。
こうやって書いてみると、すべてはこころの問題なんだ、と思える。
いわゆる、「こころのもちよう」ではない。
感情を押し込めたり、我慢したりし続けたりすると、自分が何を感じていたのか分からなくなる。
麻痺してしまったこころは、でも、なくなった訳ではないから、ずっと自分自身に影響し続ける。
まるで毒のように。こころを、からだを、ずっとむしばみ続ける。
その毒を吐き出してしまうことができると。
それだけで、からだもこころも、ずっと楽になる。
こうなって、初めて「こころのもちよう」を考えられるのだ。
大多数のひとはそう感じない。あるいは、それではいけない。とかいうことを学ぶことも必要だけど、まずは「自分がどう感じたか」をきちんと味わうこと。
それから、大多数のひとはそれをどう感じるか、どう感じたらいいか、という技術を学ぶ。
それから、その技術に従って生活する。
最初は変な感じだけど、その方が楽なことが、だんだんわかってくる。
たいていのことは、こころの問題と、セットになっているのだと。最近、そんな風に思う。