つれづれごと。

SD他、管理人葉月の日常の中で思うことを綴ります。※SDに関しては、必ず5/29「はじめに」をお読み下さい。

さくらちゃんについての悩み

2022-03-09 19:02:21 | 

さくらちゃん、その後半日ほどしたら、いつもの状態に戻っていました。そこは一安心なのですが…。

 

この子、甘噛みやパンチが強いんです。血が出ます。みぃちゃんなら余程怒った時のレベルが、さくらちゃんの場合挨拶で起こります(泣)。

飼い猫になって間がないので、だんだん覚えてくれるとは思うのですが…。むしろ、こっちのキャパがなくなりつつあります。

ケージは自分の領土だと思っているようです。そこはいいんですが、何というか、人間に限りなく無関心で、構われず、のんびりできるのがよし、と思っているような…。

遊びにもあまり関心なく、おもちゃを置いておけば自分でたまに遊びますが、人間との遊びは限りなく省エネで、座ったまま手か首を動かすだけという…。

警戒心は解けてはいないと思います。

保護していた方に言わせれば、まだ怯えているのでは?とのことですが、獣医さんにも言われましたが、怯えている様子とはいささか違う感じがするのです。

…やっぱり、警戒、だと思います。怯えではなく。

 

そして。噛まれないように、と軍手をしてみたら、軍手に怯えが出るようです。

軍手だと噛みつかない。パンチもしない。蹴らない。

実は保護していた方が一度様子見に来て下さったのですが、その方には平気で撫でさせ、お腹も手も足も触らせており、その方に促されて私も撫でたところ、その時は何もなく撫でられていました。

その方が帰宅された数時間後には、いつも通りパンチとキックと噛みつきがくるのですが…。

 

なんというか、保護していた方は「ボス」で、言うことをきくもの、と思っている感じを受けました。

その方には、私は一緒に遊ぶ「子猫」扱いなのでは、とも言われたのですが…うーん。どうなんでしょう。

私はボスになりたいのでなく、仲良くなりたいのです。

…が、さくらちゃんにその意識があるのかどうか。

 

…このまま一緒にやっていけるのか、はなはだ疑問になってきました…。

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さくらちゃんの健康診断

2022-03-05 18:09:18 | 

今日はさくらちゃんの健康診断の日。連れて行っていいかどうか、本当に悩みました。

昨日くらいから、少しずつ穏やかになってきているので、また逆戻りするのが目に見えているからです。

でも一度は診察してもらわないと、いろいろ問題ありそうだし…。

なので、ちょっと強引に連れて行きました。キャリーに入れて蓋をしたら、滅多に鳴かない子なのにきゅーきゅーと鳴きだして、ちょっと辛くなりましたが、いつもの毛布をかけると落ち着いたのでそのままタクシーへ。

到着すると、初めての場所ゆえ緊張しまくっているさくらちゃん。先生にあっさり出してもらっています。診察としてはちょっと太り気味、でもこれくらいでもよい。ダイエット食を処方するほどではない、とのこと。うちに来てから多少ダイエットしてるので、100gくらい落ちてました。

糞にはちょっと悪玉菌?がいるそうですが、下痢はしていないので(トイレを見る限り)、軟便気味かもと言われましたが分かりません。とりあえず、床暖房なし(我が家にはないので大丈夫。そういう暖房器具も使ってません)、部屋は暖めて、声はかけて、触ってもよし、とのこと。

行ってよかったと思ったのは、もう一回ワクチン打った方がいいそうで(一年めは二回だそうです)、言われてみればみぃちゃんも打った気がします。来月もう一回ワクチン打たねばなりません。

ご褒美をもらってキャリーに入り、天気もいいので歩いて帰宅しましたが、帰ってきたらやっぱり元に戻ってました(汗)。ごめんねさくらちゃん。

帰ってから私たちからのご褒美でちゅーるをあげたところ、ぺろっと平らげたのでショックはショックでも大丈夫そうです。

でもしばらく、元の位置で寝ず、その下の段で寝ていましたが、その後買い物に出て帰ってきたら、いつもの毛布をしいた寝場所で寝ていました。

でも耳はイカ状態です。

また一からですが、頑張りたいと思っています。

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悲しかったこと。

2022-03-04 13:21:36 | キリスト教(カトリック)

一月に、複数の媒体で

「ローマ教皇フランシスコ1世は5日、ヴァチカンでの一般謁見で、親になることについて言及し、子どもを持つ代わりにペットを飼うことを選択する人は自分勝手に振る舞っていると示唆した。 フランシスコ1世は、「今日(中略)私たちはある種の身勝手さを目の当たりにしている」と群衆に語った。 「子どもを持つことを望まない人もいる」 「子どもを1人だけ持つ人もいる。1人でおしまいだ。ところが彼らは子どもの代わりに犬や猫を複数飼っている」 「おかしなことかもしれないが、これが現実だ」 そして、こうした行いは「父性や母性を否定するものであり、私たちを損ない、私たちの人間性を奪うもの」だと付け加えた。 フランシスコ1世は、生物学的な理由で子どもを持てない人は養子縁組を検討すべきだとし、人々に親になることを「恐れるな」と呼びかけた。 また、「人口統計学的な冬」(おそらく出生率が低下している国々を指しているとみられる)についても言及し、「人々が子どもを持ちたがらない、あるいは2人以上を望んでいないことがわかる」とした。 「文化的劣化」 フランシスコ1世は過去にも、子どもよりペットを選ぶ人たちに対して発言している。 2014年には、子どもの代わりにペットを飼う行為は「文化的劣化の現象の1つ」であり、ペットとの情動的関係は親子の「複雑な」関係より「たやすい」と述べた。 現在85歳のフランシスコ1世はこれまで、犬からヒョウにいたるまで様々な動物をなでている姿を写真に収められてきたが、個人的にペットを飼ってはいないと考えられている。 」

という記事を読みました。

端的に言うと、心外でした。そして悲しかったです。

私には子供がいません。何となく、そのうちに、と思っていたら、二度の病気にかかり、子供を持つという選択はなくなりました。

養子をとる、という選択は素晴らしいことだとは思いますが、私は自分たちの子が欲しいと思うことはあっても、他所様の子供を養育したいとは思いません。私には荷が重すぎる。

そして、ペットを飼うことは子供を持つことの代わりではありません。たとえ、「○○ママ」とかいう言葉を自称することがあったとしても、ごっこ遊びのようなものです。なぜなら、動物は必ず飼い主の私たちの年齢を越し、最初は子供のようであった(実際子猫だったり子うさぎだったり雛だったりしますが)子たちも、大人になり、飼い主の私の年齢を越して、いつのまにか「やれやれ、こいつはいつまでもしょうもないなぁ」みたいな感じを出すことすらあります。家族であり、友人でもあります。寄り添ってくれる存在です。飼い主がペットに寄り添っているようでありながら、実は寄り添われているものです。

信徒の立場で言うのはいけないことだとは思いますが、このお話はとても失望しました。

ペット好きの気持ちは、ペットを好まない人には分かってもらえないものだと知っています。その逆もまた然りです。

おそらく、教皇様はペットを好まれないのでしょう。

分からないなら分からないままでいいので、放っておいてほしいものです。

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みぃちゃんの百か日

2022-03-04 12:07:28 | 

昨日はみぃちゃんの百か日でした。なんだかあっという間だった気がします。

合わせて、今までおさめられずにいたうさぎさんたち二羽の遺骨も一緒に納骨堂へおさめさせてもらいました。

今回のお坊さんも四十九日の時供養して下さった方で、最後まできちんと我が家の宗派で?送らせてもらえたように思えて、嬉しかったです。

しかし三体となると納骨堂の場所もきちきちです。一番お得なお値段のところにしたせいなので、仕方が無いですね。お供えはその分、家ですることにします。

 

さくらちゃんのために、馬頭観音様のお守りを頂きました。

あとで、お彼岸の大法要を申し込むと一個頂けると知りましたが…まぁ、そっちはみぃちゃんたちの供養のためですから、こっちとは別でいいことにします。

 

しみじみ思い出すと、まだまだ泣けることに気づきました。

みぃちゃんだけでなく、うさぎさんたちもです。一羽は十六年前、一羽は五年前に亡くしたのですが、こちらはどこで葬儀をしていいか分からなかったので、移動火葬車で火葬してもらって手元に置いていたものです。気が済んだらどこかに埋めてください、と言われたのですが、借家の身だと埋めるところがなく、プランターとかに埋めたくはなく…。ペット供養をしているお寺に問い合わせたら(ペットのお墓もやっているようでしたが)断られてしまったので、そのままになってしまっていたのでした。

この子たちも、きちんとおさめられたのでとりあえず安心です。

みぃちゃんと同じく、この子たちも少しだけ分骨しました。といっても、歯と爪だけです。基本的に生え替わるものを入れるそうです。確かに、大事な骨がなかったら可哀想ですよね。

帰ってきてから、なんだか座っていられず、ペットショップでさくらちゃんのおもちゃと首輪を買って帰ってきました。

お彼岸にまたお参りに行くつもりです。

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これも、ご縁。

2022-03-02 15:53:18 | 仏教

阿弥陀如来の尊像をオークションで購入しました。

葉月の守り本尊は阿弥陀様なのです。

しかし、あまりにもメジャーだとか、昔話でよく出て来るとか、父が父の家は浄土真宗だと言っていた(父はいろいろあって自分の家と絶縁してます)とか、その父が自分の名付けをしてくれたお寺が大っ嫌いだったとか(この辺は父の願望と関係しますので割愛します)、いろいろあって、何か好きになれない仏様でした。メジャーすぎて苦手ってところでしょうか。はっきり嫌いなのではなく、なんだか猫も杓子もみんな阿弥陀様になってしまうのが嫌、というか。

それが、何となく阿弥陀様を拝みたくなり。何となくオークションを見たら、一目惚れしました。

厨子付きの、切り金の入った阿弥陀如来座像。お値段はそこそこしました(この時はそう思いました)。葉月的には高価です。でもどうしても、このご像を拝みたくなりました。

それで、ちょっと考えて。最終日、誰も入札しなかったら入札してみよう、そして高値更新されたら諦めよう、と決めました(高価だというのもありますが、その時は私よりも必要とされる方のところに行くのだと思ったので)。

結果、入札→落札。やった!と喜び、手続きをして到着を待ちました。

到着してみると、画像で見たより立派で、ちょっと臆する自分(弱っ)。安置してみて、ふと気づくと、手にいい香りが移ってる!!…檀像です。仏像に最適の木材です。

…これ、私が拝んでいいんでしょうか。恐縮ものですが、お薬師様と伝教大師様のさらにお隣に並んで頂き、今は朝な夕なに拝んでます。

そういえば、人生最初に買った尊像は、お土産の鎌倉の大仏像でした。これは記念品としてのお土産で、拝む対象ではありませんでしたが、今でも実家にあります。

これもご縁ですね。

考えてみると、仏像はみんなご縁でお迎えしたような気がします。拝むものはもちろんですが、拝むのでなく、持っていたくて買ったものも含めてそんな気がします。

まぁ広く言えば、全てはご縁なのですが、特に強くそれを感じた出来事の一つです。

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