私は小学校3年~5年にかけての2年半、滋賀県に住んでいた。
父の転勤に伴い、新築の家を離れ田舎の社宅に住むことになってしまったのだ。
母の手作りの洋服を着て、ピアノが弾けて、どことなく言葉の違う、ちょっと都会の香りがする、小さくて元気な女の子は、「こいつ何者?」「ヨソモンや!」とちょっかいをかけられることが多かった。小さな学校だったので、上級生にまでからまれて帽子を田んぼに投げ入れられたり、別れ道で手を引っ張られたり…
最初は泣きながら帰る日もあった。
でも、そんな嫌なことを振り払うほど、楽しい世界がそこにはあった。
私は学校から帰るとランドセルを置き、バケツと網を持って外へ飛び出した。
小川にはメダカやフナが泳ぎ、ドブにさえザリガニがそこかしこにいた。
小さな古墳が点在し、子どもたちの秘密基地となっていた。
春にはつくしやふきのとうがニョキニョキ生えいて、バケツにいっぱい入れて持って帰ると母が佃煮にしてくれた。
私の幼い頃の思い出は、良いことも悪いことも、この「滋賀県の田舎時代」に凝縮されている。
特に4年~5年の時の担任のF先生との思い出は、私だけでなく当時のクラスメイト全員の一生の思い出となっていると思う。
「まったく、豆太ほどおくびょうなやつはない…」で始まる物語『モチモチの木』(斉藤隆介(文) 滝平二郎(絵))や『ベロ出しチョンマ』は先生が読み聞かせをしてくれた本の一つ。
色々な話が入っているのだが、私はプロローグの『花咲き山』が好きだ。今でも煩悩に取り付かれた時は、この話を思い出すようにしている。
学校から歩いて10分くらいのところに「椿神社」があった。
F先生は理科の本を片手に、生徒を連れ出した。(もちろん理科の本はカムフラージュである)
椿神社に着くと先生は、「11時だよ 全員集合!」と大声で叫び、みんなで「手つなぎ鬼」をした。
足の遅い私はいつも一番に捕まり、先生と手をつなぎ振り回されるように走らされていた。
雪が降るとよく1時間目が雪合戦になった。運動場が凍った日の「運動場スケート大会」は圧巻だった。喉が痛くなるほどキャーキャー叫んだ。
遊んだことばかり思い出されるが、ちゃんと勉強もしていたと思う。たぶん。
もうすぐ5年生が終わるという時、急に父の転勤が決まった。
「前の家に戻れる!」
すごくうれしかった。
「私、転校するの!」とウキウキしながらみんなに話した。
ところが、なぜかみんなが悲しんだ。それを見ていて、私もだんだん悲しくなってきた。
このクラス全員が、そのままあっちの学校へ行けたら良いのに…と泣きながら本気で考えていた。
それから10年後、私は大学の「初等教育科」に入学した。
「F先生のような先生になれたらいいな」と言う気持ちもあって選んだ学科だった。(結局先生にはならなかったけれども)
大学在学中に、年賀状のやり取りしかしていなかった先生から電話があった。
「大阪で会わないか?」という電話だった。
そして、10年ぶりに再会した。
先生は全然変わっていなかった。その時は中学校の先生になられていた。
帰り際に赤い包みを渡された。
そして、先生が言った。
「実は…10年前、引越しの日を1日間違えてなぁ…
君の家に行った時は、もう引っ越した後やったんや。
部屋が空っぽでなぁ…その時に渡そうと思ってたものなんだけど…」
驚いた!初めて聞いた話だった!年賀状にはそんなこと一言も書いていなかった!
F先生は、春休みに私に会いに来てくれたのだ。
それなのに、引っ越してしまっていて…
空っぽの部屋、渡そうと思っていた赤い包み…
涙が出そうになったので、想像力を断ち切り、その場では包みを開けないまま先生と別れて阪急電車に乗った。
電車の中でかばんの中から「赤い包み」を出してみた。
セロハンテープのセロハン部分が変色し、粘着力のなくなった粘着部分と分離していた。赤い紙をそ~っと開けてみると1冊の本が入っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/60/c73679190b1fa279b701d196e53aefe4.jpg)
(↑私の宝物)
それは、『鮭のくる川』という本で、小学校高学年の推薦図書だった。
本のカバー(箱)のホッチキス部分が錆びていた。10年間「いつか渡そう!」と思って、ずっとずっと大事に持っていてくれたのだろうか。
そう思うと、涙が止まらなかった。
阪急電車の中で泣いた。
誰かにあげてしまえばいいものを、学級文庫に並べておけばいいものを、「いつか渡そう」とずっと持ってくれていたのだと思うと、熱い涙が次から次へと頬を伝った。
F先生とは、今年の4月にもお会いした。
何の前触れもなく「埼玉に来ているんやけど、会えないか?」と電話をかけてこられたのだ。
先生は今も滋賀県に住んでいらっしゃるので、めったにこちらへは来られない。だけど、そのわりには何度か会えている。
F先生と私には不思議な縁がある。
今、先生は私の母校(大学)の大学院で助教授をされているのだ。
信じられないような本当の話だ。
そして、ちょっと貫禄が付いていらっしゃるけれども、やはり、あの頃と変わっていないように思う。
と言ったら、先生に言われるだろうなぁ。
「そっちも変わってない!」って。
F先生のHNが『椿神社の雀さん』です。
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