花々楽しい日

布合わせを楽しみながら キュートで物語のある布小物を作っています

ちくわ耳

2006-06-26 | コドモ


若の耳は「ちくわ耳だ!

「~しなさいよ!」「~しておくのよ!」と言うと

「わかっタンコブ!」

と 返事は良い

でも

「すぐにやらない」 「そのうち忘れる」

そして 毎日のように
母の空爆を受けている

でも


全く めげない

「恐ろしい生命力だ!」と思う



食べたお菓子のゴミは そのまま
飲んだジュースのペットボトルは 蓋が開いたまま そのまま
ソファーで読んでいた本は 出かけてもそのまま
玄関に何足もの靴(“サッカーのスパイク” “瞬足” 等)が出しっぱなし
習字で使った筆は何日経っても洗う気配なし

注意をしても 「ちくわの耳」だから右から左へすり抜ける

テレビや本に集中している時は
その「ちくわ耳」に心臓の弁のようなものが付くらしい
テレビの音は聞こえても 母の声は聞こえなくなる
本を読んでいる時も この弁の働きで 母の声は全く聞こえていない

毎日空爆を受けても 改善する気は全くない

でも 最近 家庭科の授業が始まったので
ちょっとは自分から手伝おうという気になったようだ
休みの日の朝は 自ら 大好物のピーマンやウィンナーを炒めたりしている
「ブロッコリーも茹でられる!」と自慢気に言っている
夕食の準備をしていると
「今日の晩ご飯は何かな~?」とキッチン付近をウロウロする
「食器を運んで!」と頼むと
嬉々として運んでくれる
でも 私の考えている順番とは違うので やや気に食わない
「こっちを先に運んでくれない?」「なんでこれを運ばないの?」
と文句を言うと

「うるさいなぁ! ぼくは ランダムに運んでるんだ!

と言い返された

憎たらしいけど 「うまいこと言うなぁ」と思った


カリカリ怒りながら ふと 考えてみた
私も子ども時代 「部屋が汚い!」とよく言われたものだ
「出した物は元の場所に戻しなさい!」なんて
毎日のように言われていたような気がする
そんな私でも 今はちゃんと家庭の主婦をやっているのだから
なんとかなるのだろうなぁ…とも思う


『子どもは 大人になるためにあるのではなく

         子どもは 子ども時代を生きるためにある』


と言う言葉を聞いたことがある

大人になった時のことを考えて
何十年か先の幸せを考えて
「こうしなさい!」「こうすべきだ!」等と言うよりは

「今日の幸せは 明日の幸せ」

今!この時!に重きを置いて
子ども時代を謳歌させてあげたいなぁと思ってみたりもする


 

しかぁ~し

 

「自分が食べた物くらいは 片付けろっ!


コメント (7)
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