左から2番目が3歳の私です
アキラくん ヒロトくん ヒロユキくん
今では みんな いいおじさん(お父さん)になっているんだろうなぁ
当時 私は大阪府高槻市に住んでいました
家は狭かったのですが 庭だけは広く
砂場や鉄棒までありました(地面に置くタイプの鉄棒)
両親が廃材で作った赤い三角屋根のお家もありました
半畳にも満たない小さな家でしたが ちゃんと表札があり
そこにはマジックで私のフルネームが漢字で書かれていました
それを作った時についてしまった黄色いペンキが
その後もずっと父(おじいくん)のステテコに残っていたのを覚えています
飼っていたウサギを小屋から出すと
芝生を走り回ったり 植え込みの中にもぐったり…
裏庭には小さな丸いウンチがコロコロいっぱい落ちていました
ウサギの名前は ジュンとネネ
この名前からも時代をがわかるでしょう?(笑)
私は一人っ子でしたが
近所の子どもたちがしょっちゅう遊びに来ていたので
庭はいつもにぎやか
高槻時代は楽しいおもひでがいっぱいです
私が高槻に住んでいた昭和40年代の日本は
高度成長期の真っ只中です
玄関の前の道路(府道)を
大きなダンプカーが黒煙を吐きながら走っていました
切り崩された山は地層がむき出しになっていました
そこに見え隠れする貝殻や木の化石を
父が取りに行ったりしていました
かと言って自然が失われていたわけではありません
ウサギの餌を取りにクローバー畑へ行ったり
レンゲ畑で母と一緒に冠や首飾りを作ったりしていましたし
ちょっと歩くと 清流の川 「摂津峡」がありました
夏はそこで泳いだり 夕方から蛍を見に行ったりもしました
高槻は私の「少女時代の第1幕」です
(第2幕は小学校3~5年の時に住んでいた滋賀時代)
幼い頃の私が大好きだった遊びの一つが
お人形さんごっこ
(↑遊んでくれているのは祖母です)
この時はまだリカちゃんを持っていなかったので
写真の人形はペパーちゃんだと思います
ペパーちゃんはタミーちゃんの妹です
祖母がペパーちゃんの着物作ってくれたり
母がペパーちゃんの洋服や傘(不二家の傘型のチョコレートの柄を使って)を作ってくれたりしました
そして 40年経った今でも
ペパーちゃんは我家の押入れで眠っています
(他にもこんなものが眠っています→お宝?)
遊びつかれた私も 眠っています zzz
そして これは大きくなった私
コンパニオンをしていた頃です
嘘です。
4歳ですし…
殿と私は年が離れているので
私がコンパニオン時代はもう思春期?
私がピカピカの1年生の頃 殿はすでに…
男です
でも、私が出会ったのはこの写真の20年後くらいかな?
年月は…
人の心も身体も丸くするようです(笑)
若き日の殿のオマケ画像
寝ています
ハンガーと共に?(笑)
ちょっと懐かしい物を見つけたので
明日「おもひでアルバム」の続編をUPします