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いつか誰かの心に

今から12年ほど前、県内のとある神社を訪ねたときのこと。

紅葉の写真撮影がてらの、観光目的の訪問だった。
当時使用していたソニーの主力一眼レフ α700 で、ところ構わずカメラを向け、撮りまくった。
紅葉の時期ということもあり、若いカップル連れなど、多くの参拝客で賑わっていた。

その中に混じって、一人のお婆さんが、拝殿の前で手を合わせていました。
印象的だったその後ろ姿を、一枚、写真に撮らせていただきました。



帰宅後、撮影した写真の現像を行なった。

訪問先で、バシャバシャとシャッターを切って撮影するヨロコビ。
それに加えて、撮影結果を一枚一枚チェックしながら、PC 上で現像を行なう作業。
これもまた、カメラ好きにとっては至福のひととき。

拝殿の前で手を合わせていた、お婆さんの写真。
失敗することなく、ちゃんと無事に撮れていました。

よく見ると、お婆さんは別の写真にも写っていました。
拝殿の周辺でカメラを振り回し、気付かぬうちに撮った何枚かにも、同じ姿で写っていました。
撮影時刻から、そのお婆さんは、約20分間、じっと手を合わせていたことが分かりました。



あのときの記憶が、あれから12年ほど経った今も、心の中にある。

約20分もの長い間、じっと手を合わせていた、あのお婆さん。
お孫さんの成長を祈っていたのか。
御先祖様への感謝を念じていたのか。
自分の想像では、そのようには見えなかった。

余命幾許もない、闘病中の家族の無事を祈る。
どうすることもできない、運命の非情に、せめて抗わんとする、
最後に残された手段としての、神頼み。
そのような痛切な一心を、背負っているように見えました。



人が生きていくとは、様々なものを失う苦しみの中を、通り過ぎていくこと。
ではないかと思います。

あのお婆さんは、その瀬戸際で、じっと手を合わせていました。
かなしいほどに小さく、かなしいほどに一生懸命な、人間の営み。
もしかしたら、その願いは、叶わなかったのかもしれません。

しかし、その祈りの姿は、一人の男に届いた。

心のどこかに残っていた、あの素朴な後ろ姿の残像が、
自分に負けそうな心を、良き方向に押し戻してくれた。
そんなことも、ありました。

物事に一心に打ち込む、人間の姿。
悩み、苦しみ、一生懸命に生きる、人間の姿。
それは、不思議な magic を帯びるもの。
誰かがどこかで、必ず見ている。
誰かの心に、いつか必ず、きっと届く。


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