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何が天命だ、てめえの身勝手な思い込みで日本国民全員を巻き添えにしたテロリスト風情が、思い上るのもいい加減にしろ

あの悲しい事件から、もう9ヵ月が過ぎた。
思い出すのもいまだに悔しいが、忘れることはできない。
すべての日本国民が、驚愕と悲痛と怒りを持って受け止めたあの事件。

安倍さんは、通算で8年8ヵ月、憲政史上で最も長く首相を務めた。
それだけ、日本国民から厚い支持を受けていたということだ。

2020年8月、安倍さんは持病の悪化により首相辞任を表明した。
2度目の辞任だったので、批判は免れないだろうと思ったが、直後の世論調査で
「安倍政権の功績を評価する」 と答えた人の割合が70%に達した。
「長い間お疲れさまでした」 という、日本国民の気持ちのあらわれだったと思う。

安倍さん本人は否定していたが、3度目の可能性はあったと思う。
是非とも実現してほしかったと、今でもそう思っている。
首相としてでなくとも、日本の政界で、今後とも活躍する姿を見ていたかった。
日本には安倍晋三がいる、それがどれだけ、国際社会にとって重要なことだったか。

「笑っていいとも」 に出演した際に見せた、あの人懐っこい笑顔のキャラクターを、
今も覚えている日本国民は、多いのではないかと思う。
政界引退後は、昭恵夫人と過ごす穏やかな日常の日々が、待っていた筈。

それがなぜ、あのような凶悪かつ非道なテロリストに
突然命を奪われなければならなかったのか。




2022年9月27日、日本武道館において、安倍さんの国葬が執り行なわれた。
国葬について反対意見もあったようだが、岸田首相の決断は早く、
事件からわずか6日後の記者会見で、安倍さんの国葬実施を発表した。

今から約30年前、朝日新聞阪神支局の銃撃事件が起きた。
散弾銃を持って侵入してきた男に、記者二人が銃撃され一人が亡くなった事件。
あの事件が、30年以上を経てもニュースで取り上げられ、追悼がなされるのは、
言論の自由が脅かされた事件だったことが、一番大きい理由だと思う。

安倍さんの国葬も、それと同じ考え方に立つべきだ。
自由と民主主義、車の両輪であるもう1つの普遍的価値である民主主義が、
最悪の悲劇に襲われた事態を受けて、国葬を実施し、国家としての意志を示す。
そのことには重要な意味がある。

日本は自由と民主主義の国。
だから、安倍さんの国葬は行なう必要があった。
岸田さんは非常に良い決断をしてくれたと思う。




事件後、犯人の死刑囚が統一教会に対する私怨を口にしたことで、
統一教会と自民党そして安倍さんとの関係が、メディアで取り沙汰された。
長く政権与党を務め、最も長く首相を務めた立場としての責任は、もちろんある。

ただ、「宗教団体の政治活動は憲法で保障された権利だ」 と公明党の山口代表も言っていたように、この問題には 「信教の自由」 とか 「人権」 といったことが絡んでくる。
統一教会に選挙を手伝ってもらったからけしからんとか、統一教会のイベントで挨拶したからけしからんとか、それほど簡単に善悪を決められる話ではない。

報道の公平性にも疑問が残った。
いかにも自民党と安倍さんだけが統一教会と関係があるかのようにミスリードするのは、いかがなものかと言わざるを得ない。
野党だって決して統一教会と無縁ではないし、24時間テレビのボランティアの件を教会側に暴露されたことからも分かるように、マスコミだって同様。

昨年亡くなったアントニオ猪木氏も統一教会のイベントにゲスト出演したことがあったと言うし、芸能界の事例も探せばいくらでも出てくるのではないか。

霊感商法の問題とその解決を訴える声があることを認識していながら、憲法で保障された権利に基づいて活動する顔を持つ教団の存在を、黙認し、共生することを今まで続けてきたのは、何も自民党と安倍さんが旗を振ってきたからではない。
日本の各界が、社会全体が、それを何となく今まで受け入れてきたということ。

日本の舵取りをしているのだから、政権与党および首相としての責任は、当然問われる。
だが、統一教会との関係性を問うなら、日本の社会全体のこととして言わないと公平ではない。




安倍さんが、統一教会にビデオメッセージを送ったことがある。
選挙の際に、教団票の差配をし、運動を手伝ってもらった。
それが一体、安倍さんの首相在任期間の、どれくらいの比重を占めるというのか。
おそらくほんの数 % にも満たないのではないか。

安倍さんは、8年8ヵ月もの長期に渡って、24時間、日本の首相としての重責を務めた。
それが全てだ。
統一教会の繁栄のために時間と労力を使っていたわけではない。
ましてや、霊感商法を奨励していた筈がない。

それを実際に行なっていたのは、統一教会の幹部ら、組織の人間たちだ。
彼らは、彼らの活動の 100% を、教団の運営のために費やしている。

どう考えても、安倍さんが狙われるのはおかしいことは、考える頭があれば分かる。
もっとも、あの死刑囚自身 「安倍元首相は本来の敵ではない」 と言っていた。
あの死刑囚が本来狙うべきは、教団の組織の人間だったのだ。

もちろん、どんな理由があろうと、この法治国家日本でそんなことは許されないが。




統一教会とのいざこざで、不幸な生い立ちを背負ったことについては、同情しなくもない。
教団に対して、積年の恨みを募らせるのも、気持ちは分からなくもない。
しかし、あのような事件を起こすに至って、同情の余地など一切なくなる。
例え、銃口を向けた相手が教団の人間であったとしてもだ。

まずもって、世の大多数の人は、あんな霊感商法の手口に引っ掛かりはしない。

多額の献金で一家破滅に追いやられたというが、それはあくまでも 「献金」 であって、
教団が 「意に反して」「強奪」 していったわけではあるまい。
確かに線引きが難しいグレーなことをやっているのかもしれないが、既出の報道からすると、少なくともあの死刑囚のケースは母親の意志があっての献金だったことは否定できないだろう。

しかも、親族の伯父が動いて、教団側と交渉をし、母親が献金した1億円の半額の5000万円を返還することで手を打ち、教団側と一度は和解をしたという。
半額の返還で和解に応じたということは、半分は責任を認めた、つまり自分らサイドの意志で行なった献金だったことを認めたのと同義だといえるのではないか。

それにも関わらず、教団に傾倒する母親を止めることは出来なかった。
一度和解をしておきながらそうであるなら、気の毒ではあるが、もう自己責任と言うしかない。
だって、半分は自分の意志でやってることなんだから。

世の中には、もっと不幸な境遇で精一杯生きている人なんて、いくらでもいる。
本当にいくらでもいる、そういう人は。
それでも、自分の人生を少しでもより良くしようと、精一杯努力して生きている。

北朝鮮による拉致被害者だってそうだ。
拉致事件なんかはまさしく、愛する家族を 「意に反して」「強奪」 された。
解決の兆しは遅々として見えない。
だからといって、拉致被害者の家族が日本政府へ不満をぶつけて首相を襲ったりするか?
そんなことはしない。




あの死刑囚の一家のケースなんて、財産を 「意に反して」「強奪」 されたわけではなく、
半分は自分の意志で寄付したことなんだから、誰のせいでもない、半分は自分の責任。
しかも、一度は教団側と和解をした。
だったら、その時点で自分の人生を再スタートすればよかっただろうよ。

教団に恨みを抱き続け、心身を擦り減らす人生は、確かに辛く苦しいだろうよ。
でも、置かれた境遇で精一杯努力する、そうやってみんな生きているんだ。
なぜその道を選ばなかった?

教団の人間を狙っていたなら、百歩譲ってまだ筋は通っていたと思うよ。

その代わりにお前がやったことは、首相をもう一期務める可能性もあった安倍さんを狙った。
あの事件がなかったら、安倍さんは台湾を訪問することになっていた。
今を生きる、これからの未来を生きる日本人の運命を巻き添えにした。
国の指導者にテロ行為を働くとはそういうことだ。

日本人全員の未来を奪ったんだお前は。
てめえの身勝手な思い込みのせいで。
だから俺は絶対に許さない。

「次の天命は暴力ではないやり方で探しなさい、と言いたい」

つい先日、あの死刑囚の伯父が近いうちに接見するとの報道があり、
その中で 「天命」 という言葉が使われたこんな一文を見つけた。
だから今日、自分はこの記事を書いた。

あの死刑囚がもし極刑を免れ、娑婆に出られる日を迎えたとしても、
義憤に駆られた日本人の手によって、報いを受けさせられることになる。
それは間違いなく義憤であり、それこそがまさに天命。
あの死刑囚は、それだけのことをしたから。

もちろん、自分はそんなことはしない。
あんな糞野郎のせいで、人生を棒に振りたくはないから。
でも、その行動に打って出る人の気持ちは 100% 理解できる。
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