嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

書く事の責任

2004年09月25日 16時35分25秒 | Weblog
面白いとか面白くないとか
好きとか嫌いとか
外からの評価を気にする概念ってのは
書いた後から発生するものだと思う

外からの評価に正当性や妥当性があるかないか
そのような問い自体は
何も書いてない「今」「この瞬間」「刹那」においては
成り立たない

つまり、僕は馬鹿にされて傷ついて絶望を得る為には
まず、何かを書く必要があるということ
そんな事を思っている

だから面白いものが書けないから書かない
というのはしょせん言い訳に過ぎないわけで。

そしてまた
無責任な自由を手放したくない俺としては
そういった姿勢が書く事に対する責任だと気付いていたとしても
毎日書く義務感というのも
またクソなものであると思う

要するに書きたいという意志を失った時点で
それは決意に対する敗北であって
読者に謝罪がどうとかそんな戯れ言の前に
まず自分に対して誠実であるかどうかという
問いがなされてなんぼだという
僕の考えがあるわけで

この考え方、誰かに教わったわけじゃなく
僕が直感的に感じる物だから
それは誰かにぶち壊されるまでは維持されるもので
ポリシーとかなんとかカッコつけて名付けちゃってもいいんだけど
結局そんなものはどうだっていい。

僕のコミュニケーションに対する問いが
この世界に潜んでいる秘密を暴く為の
重要な鍵となるであろう予感
それがきっと僕を伝える衝動へと駆り立てる

言葉が僕にとって武器となるかどうか
そのような問いも
僕の言葉があってこそ成り立つ問いであると思う

つまり僕はなんにしろ
どういった形にせよ
僕は僕を誰かに伝えねばならないということ
それがきっといつか

「書く事に対する責任」に繋がっていくんじゃないかと
そんな気が、している。