嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

贅沢病で死ぬ一秒

2005年02月04日 21時24分02秒 | 駄文(詩とは呼べない)
ニセモノノ
ますますもってにせものの
コノホウケタセカイデ
わたしはなにをしようというのか
アタリマエノヨウニウマレテ
ながいながいみじかいいちびょうにもならない
ソンナジカンダケガアッテ
ぼくはもうつかれたつかれたと
オモイアガッテミナゲシテ
ますますぼくはだらくして
カラダハオモクテウゴカナイ
つまらないよつまらない
コノイチビョウワツマラナイ

中空にある光の粒が
様々な輝きを放って
複雑に散らばりながら
空気の方向が見えました

僕はちょっとだけにやけて
たぶん、透明な涎を垂らして
考えてるのか感じてるのかわからない笑顔で
きっと病理を微笑むでしょう

にせものの
ますますもってにせものの
ほんものの
ますますもってほんものの
あたりまえの
なけなしの
だれにもいえない
ぼくだけのひみつが
もうすぐこぼれだして
このうつわからあふれるように
こころだけがあふれるように
にくたいなんていらないね

壊れちゃえばいいよ
壊しちゃえばいいよ
生きるってたぶん、そんな程度のゴミのような物語でしょ?

一つの直線が
直線という幻想が
妄想を形づくって

まっすぐなこころが
むくなこころというげんそうが
じんせいをかたちづくって

だからきっと僕は

壊れちゃえばいいね
壊しちゃえばいいね
死ぬってたぶん、そんなていどの美しい物語でしょ?

ノコギリチャンネル

2005年02月04日 21時23分07秒 | 駄文(詩とは呼べない)
目で見る幻覚と
耳で聞く幻聴と
鼻で嗅ぐ幻嗅と
口で味わう幻味と
肌で感じる幻触と
言葉で伝わる幻語と
脳で想像する幻宇宙と
それらがギリギリと刻み続ける
心の臓器があったりするのだけど

ブラックホールの心が感じるのは
僕は心であり俺は脳であり私は言葉であるという厳密な境界は無く
また、マルチチャンネルが一つの統合された外部を語るという違和感
また、それを現実と呼んでしまう様々な虚構の嘘
そういったものに常に不条理を感じる主体という幻想が
そもそも僕を切断したりくっつけたり混沌を作り出しているのではないか?
という大きな疑問

つまり感覚チャンネルが開かれるたびに
自我同一性によって必ずしも統合できるとは限らないわけで
一つの感覚は一つのチャネリング世界であって
同時に全部を感じるからといってそれらが一つであるという安直な結論は
そもそもおかしいわけで
いったいなにを根拠に私は世界を同一化しているのか。

言葉によって知覚された嘘が一つの大きな虚構を語る時
我々が感じる混沌もまた、認識の境界線によって偽の理に切り分けられ、
バラバラに分解され、再構築されていく。

物語はそのように制約を受け、宇由を語らず
真実を語らず、何者をも語らず、外部を語り得ない。
意味の混沌は意味の海しか泳がない。
真実の混沌には成り得ない。

もう少し、手を伸ばして堕落の底へ
あと一歩、大きく踏み出して奈落の底へ
あるがまま、流されるまま、真実の光へ

新しいチャンネルを、開きたい。