外部に対する恐怖心はどこから来るのだろうか
そして外部に対する憬れはいつからあるのだろうか
未来に対する期待は過去の自分を好きになれるかどうかで決まる
そう考える事はたやすい。
歴史を詳しく知れば知るほど
未来は確定要素が多くなる
かつて人が空に憧れたように
上下方向の空間移動というのは
平面的な生活をしていた頃の現代人にとって
最先端の憬れであったと思われる
記憶を辿る事、歴史を知る事、それらによって行われる
未来の推理は知の範囲によって
並行宇宙の展開の仕方が異なってくる
人類は飛行機を発明した事によって
上の方向に移動する手段を得た。
そして地下を掘り進める事で
下の方向への移動も可能となった。
だがしかしそれらは常にある一定の限界範囲に収束される
際限なく上に、
際限なく下に、
いくらでも移動できるわけではない。
もちろんそれは、前後左右にしても同じ事であり、
地球の丸さを無視した場合も、無視しなかった場合も、
ある方向への移動というのは、
狭い範囲内に限定される。
それは今という刹那の瞬間が
とてつもなく大きな引力を放っている事に起因する
空間の湾曲を紐のように考えれば
ブラックホールが空間を飲み込んで束ねている事に起因する
何故か。
宇宙は爆縮しながら爆発しているからである。
我々の意識が、まだ精子の頃、そこには期待や憬れがギュッと詰まっている
全ての精子を殺して、
生き残った自分の精子が選ばれた未来へと繋がっている。
それは可能性のインフレーションでもある
我々の精神年齢が、大人に到達する時、
それは自分というシステマティックな個体が
肉体の老化と共に外部との対峙を迫られる
知的探求心が活発で、好奇心が旺盛な人間ほど、
知る事による選択肢の増大と、
絶望的な科学の限界を知る。
自分の能力の限界、人類が蓄えてきた歴史的記憶の限界、
拡大の限界、縮小の限界、
それらは知能レベルが高い事や低い事と、直接的には関係は無いが、
何かを知っているか知らないかでは、
現在の自分を象る形質が異なってくる
応用力の問題にすりかえても仕方ない。
天才が世界を救えると決まっているわけではないのだ。
ホモのアインシュタインやロリのニーチェを崇拝したってしょうがないのだ。
我々は過去に幾度も大戦を経験し、
平和という幻想に憧れ、
ネットワーク的な思想に毒された。
殺し合いを避け、堕落した日常で愛を語り、
ただのほほんと生きる事を学んだ。
そしてまた、努力し、切磋琢磨し、達成感を手に入れる小さな時間を得た。
カオスは世界中のパズルを解かねばならない。
全ての物理的形質は、全パターンの組み合わせによって解かれる。
最小の単位による全パターンの組み合わせ、
全ての宇宙のシミュレーション、
それらは常に無秩序の中にある秩序というシステムによって
実行され続ける。
次のステージへ行かねばならない。
死を我がモノとしなければ、外部と真実を手にする事は、ないのだから。
生の義務感→強制実行。
永遠の剥奪→強制変化。
神に騙されてはならない。
秩序的な真理や法則は、カオスの裏側でしかないのだから。
オカルトと科学、両方とも破壊せしめねばならない。
次のステージでは、そんなものは通用しないのだから。
無気力と残虐性の中で、少し考えた。
死が怖いのは、僕のまわりに死を恐れる人が居るからだ。
世界中の人間が死んでしまえば、たぶん死なんて怖くない。
最初の1人も最後の一人も、孤独の宇宙では等価値なハズなのにね。
読んでくれた君に、新しさを祈るよ。
そして外部に対する憬れはいつからあるのだろうか
未来に対する期待は過去の自分を好きになれるかどうかで決まる
そう考える事はたやすい。
歴史を詳しく知れば知るほど
未来は確定要素が多くなる
かつて人が空に憧れたように
上下方向の空間移動というのは
平面的な生活をしていた頃の現代人にとって
最先端の憬れであったと思われる
記憶を辿る事、歴史を知る事、それらによって行われる
未来の推理は知の範囲によって
並行宇宙の展開の仕方が異なってくる
人類は飛行機を発明した事によって
上の方向に移動する手段を得た。
そして地下を掘り進める事で
下の方向への移動も可能となった。
だがしかしそれらは常にある一定の限界範囲に収束される
際限なく上に、
際限なく下に、
いくらでも移動できるわけではない。
もちろんそれは、前後左右にしても同じ事であり、
地球の丸さを無視した場合も、無視しなかった場合も、
ある方向への移動というのは、
狭い範囲内に限定される。
それは今という刹那の瞬間が
とてつもなく大きな引力を放っている事に起因する
空間の湾曲を紐のように考えれば
ブラックホールが空間を飲み込んで束ねている事に起因する
何故か。
宇宙は爆縮しながら爆発しているからである。
我々の意識が、まだ精子の頃、そこには期待や憬れがギュッと詰まっている
全ての精子を殺して、
生き残った自分の精子が選ばれた未来へと繋がっている。
それは可能性のインフレーションでもある
我々の精神年齢が、大人に到達する時、
それは自分というシステマティックな個体が
肉体の老化と共に外部との対峙を迫られる
知的探求心が活発で、好奇心が旺盛な人間ほど、
知る事による選択肢の増大と、
絶望的な科学の限界を知る。
自分の能力の限界、人類が蓄えてきた歴史的記憶の限界、
拡大の限界、縮小の限界、
それらは知能レベルが高い事や低い事と、直接的には関係は無いが、
何かを知っているか知らないかでは、
現在の自分を象る形質が異なってくる
応用力の問題にすりかえても仕方ない。
天才が世界を救えると決まっているわけではないのだ。
ホモのアインシュタインやロリのニーチェを崇拝したってしょうがないのだ。
我々は過去に幾度も大戦を経験し、
平和という幻想に憧れ、
ネットワーク的な思想に毒された。
殺し合いを避け、堕落した日常で愛を語り、
ただのほほんと生きる事を学んだ。
そしてまた、努力し、切磋琢磨し、達成感を手に入れる小さな時間を得た。
カオスは世界中のパズルを解かねばならない。
全ての物理的形質は、全パターンの組み合わせによって解かれる。
最小の単位による全パターンの組み合わせ、
全ての宇宙のシミュレーション、
それらは常に無秩序の中にある秩序というシステムによって
実行され続ける。
次のステージへ行かねばならない。
死を我がモノとしなければ、外部と真実を手にする事は、ないのだから。
生の義務感→強制実行。
永遠の剥奪→強制変化。
神に騙されてはならない。
秩序的な真理や法則は、カオスの裏側でしかないのだから。
オカルトと科学、両方とも破壊せしめねばならない。
次のステージでは、そんなものは通用しないのだから。
無気力と残虐性の中で、少し考えた。
死が怖いのは、僕のまわりに死を恐れる人が居るからだ。
世界中の人間が死んでしまえば、たぶん死なんて怖くない。
最初の1人も最後の一人も、孤独の宇宙では等価値なハズなのにね。
読んでくれた君に、新しさを祈るよ。