嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

今日も変わり映えしない思考パターン。

2005年10月10日 18時51分38秒 | 駄文(詩とは呼べない)
外部に対する恐怖心はどこから来るのだろうか
そして外部に対する憬れはいつからあるのだろうか

未来に対する期待は過去の自分を好きになれるかどうかで決まる
そう考える事はたやすい。
歴史を詳しく知れば知るほど
未来は確定要素が多くなる
かつて人が空に憧れたように
上下方向の空間移動というのは
平面的な生活をしていた頃の現代人にとって
最先端の憬れであったと思われる
記憶を辿る事、歴史を知る事、それらによって行われる
未来の推理は知の範囲によって
並行宇宙の展開の仕方が異なってくる

人類は飛行機を発明した事によって
上の方向に移動する手段を得た。
そして地下を掘り進める事で
下の方向への移動も可能となった。
だがしかしそれらは常にある一定の限界範囲に収束される

際限なく上に、
際限なく下に、
いくらでも移動できるわけではない。
もちろんそれは、前後左右にしても同じ事であり、
地球の丸さを無視した場合も、無視しなかった場合も、
ある方向への移動というのは、
狭い範囲内に限定される。

それは今という刹那の瞬間が
とてつもなく大きな引力を放っている事に起因する
空間の湾曲を紐のように考えれば
ブラックホールが空間を飲み込んで束ねている事に起因する

何故か。
宇宙は爆縮しながら爆発しているからである。

我々の意識が、まだ精子の頃、そこには期待や憬れがギュッと詰まっている
全ての精子を殺して、
生き残った自分の精子が選ばれた未来へと繋がっている。
それは可能性のインフレーションでもある

我々の精神年齢が、大人に到達する時、
それは自分というシステマティックな個体が
肉体の老化と共に外部との対峙を迫られる
知的探求心が活発で、好奇心が旺盛な人間ほど、
知る事による選択肢の増大と、
絶望的な科学の限界を知る。
自分の能力の限界、人類が蓄えてきた歴史的記憶の限界、
拡大の限界、縮小の限界、
それらは知能レベルが高い事や低い事と、直接的には関係は無いが、
何かを知っているか知らないかでは、
現在の自分を象る形質が異なってくる
応用力の問題にすりかえても仕方ない。
天才が世界を救えると決まっているわけではないのだ。
ホモのアインシュタインやロリのニーチェを崇拝したってしょうがないのだ。

我々は過去に幾度も大戦を経験し、
平和という幻想に憧れ、
ネットワーク的な思想に毒された。
殺し合いを避け、堕落した日常で愛を語り、
ただのほほんと生きる事を学んだ。
そしてまた、努力し、切磋琢磨し、達成感を手に入れる小さな時間を得た。

カオスは世界中のパズルを解かねばならない。
全ての物理的形質は、全パターンの組み合わせによって解かれる。
最小の単位による全パターンの組み合わせ、
全ての宇宙のシミュレーション、
それらは常に無秩序の中にある秩序というシステムによって
実行され続ける。

次のステージへ行かねばならない。
死を我がモノとしなければ、外部と真実を手にする事は、ないのだから。

生の義務感→強制実行。
永遠の剥奪→強制変化。

神に騙されてはならない。
秩序的な真理や法則は、カオスの裏側でしかないのだから。

オカルトと科学、両方とも破壊せしめねばならない。
次のステージでは、そんなものは通用しないのだから。

無気力と残虐性の中で、少し考えた。
死が怖いのは、僕のまわりに死を恐れる人が居るからだ。
世界中の人間が死んでしまえば、たぶん死なんて怖くない。
最初の1人も最後の一人も、孤独の宇宙では等価値なハズなのにね。

読んでくれた君に、新しさを祈るよ。

宇宙の自殺と僕の自殺

2005年10月10日 17時08分31秒 | 駄文(詩とは呼べない)
書きたい事がいっぱいあるのに書けない。
書いてもしょうがない、書いたって無駄だ。
そんな感情に負けて思いついたアイディアも簡単に押し流される
そもそも書く事自体が結構苦痛を伴う。
テキストは書く、という事だけでは終わらず
書き出す、という排泄行為になってしまっている。
これに快楽が伴う時は自慰行為として成立するのだろうが
書いても書いても快楽が得られない時、
それは自慰にすらならなくて苦痛のままで終わる。

そもそもの問題として、
伝えるべき相手を見失っている
もともと読者を想定して作者になりきるつもりはないが
書くという行為に拘りが発生すれば
必然的に読むという行為も頭をよぎる
このままではダメだ。

クソをするためにガバガバ食うのは嫌なので
読書は極力しない。
時々本を読もうかと思う事もあるのだけど
そこにまったく期待を見出せず
開いた直後に閉じてしまう。

本が縦書きだから読みにくいのかもしれないと考えたが
どうやらそんな事は全く関係なく、
今の自分に何か面白い刺激を与えてくれそうだという
期待値が限りなく低くなってしまっている事の方が大問題だと思われる。

最近mixiを更新するのが少し面倒になりつつある。
それと、mixiが馬鹿らしくなってきた。
一応blogの更新は続けている。

そこで僕が決めた事。

アクセス数が1万に到達したら
mixiをやめます。

現在のアクセス数、書いてもいいんだけど
残りアクセス数を気にして意図的に見に来なくなる人が増えそうなので
一応、秘密にしておくことにします。

コミュニティを退会しまくったので
まぁこれでふらふらと訪れる人は減るだろう。
こうやってmixi寿命を延ばす事にどれだけ意味があるのかはわからないが
最近あまりにも知らない人がたくさん来るので
ちとイライラして一気に退会しまくった。
全部退会しようと思ったのだけど
どうやら自分が作ったコミュニティは退会できないらしい。

新しく自分を招待して
直後にmixiから抜ける事も考えたが、
馬鹿らしくてやめた。
結局のところ、僕がmixiをやめたいと思っているのは
mixiが僕の思考を遮ってばかりであまり潤滑油になっていないと思ったからだ。

色々な事をもう少し真剣に考えようと仕事を辞めたはずなのに
ひたすら無駄に時間を過ごしている。
死について考える時、やはり崖っぷちに立たねば
答えは得られないということだろうか?
それはどうもおかしいような気がする。
死はどこにでもあるからだ。
リスカする少年少女達にとって
死はどれくらい身近なのだろう

僕はもう少し真剣に
自分の生について考え直さないといけない。
単なる自己嫌悪で塞ぎ込んでる場合ではないのだ。
宇宙の死は、もう間近に迫っている。
はやく何か答えを見つけねば
僕の宇宙では色んなものが消えていく。
可能性とか、並行世界とか、希望とか、光とか。
光が死ぬというのはじつに奇妙だが、実際に死んでいるのだからしょうがない。

宇宙はもうすぐ自殺します。
その前に、何か少しでも、この世界の事を。