人が怖いと感じる事のひとつに、
書き言葉と話し言葉の強制的な一致圧力というのが浸透してるような気がする。
「その言葉の使い方は間違ってる」とか
「その字は違う」とか
「その言葉はそんな意味じゃない」とか
基本的には「正しい日本語を使え。」という大人、もしくは教育的圧力なのだけれども。
基本的に、話し言葉と書き言葉はルーツの違うものであったのだと思う。
もちろん、歴史的事実について調べれば色々と情報は出てくるのだが
僕はその頃のことをよくしらんので
「説得力を持った仮説」程度にしか捉えていない。
そもそも何が問題かと言うと
言葉によるコミュニケーションが図れないというのは
主に正確な同期をとることができず、
社会という巨大な集団の中で歯車が回らないという
いたって人類的な圧力の中にあって
それは正直さというものがある種の記号の中においては
必ず嘘として表出するということでもある。
もしも、全ての人間が全く違う言葉を話し、
全員が自閉症だったらどうかと考えると、
それはなかなかにおもしろおかしく、おそろしいせかいで
じつのところ、うまく想像ができない。
それは多分、「人間」というものの喪失であって
人が個性を取り戻すことにはならない。
今、人類にとって大事な事が平和だと説く人間が居ても、
僕はその人間を信用しない。
そしてまた、人類が存続するために戦争は必ず必要なんだと叫ぶ輩が居たとしても、
僕は傍観者のようにアホらしく眺めるだけだと思う。
問題はイメージにあって、
戦争は簡単に過去の映像データからイメージすることができるけれど、
平和は見たことがないのであまりにもバラバラな幻想でありすぎること。
そしてまた、自由という名の、恐怖によって提出されたバンガドームが
ある種のセンチメンタリズムの中でパラノイアとして、
プロパガンダとして、白旗として、
精気を失った人間を串刺しにするからである。
なぜなら。
ひとりのにんげんがこきゅうによってはっせいさせる音は
それぞれの異なる空間位置から共鳴的に発せられ、
ふたりのにんげんがこきゅうによっておどりくるう会話は
それぞれの異なる意味で生まれつきずっと誤解され続けてきたからである。
僕はこのことを、ずいぶんと長い間、孤独とか、精神性とか、心の問題と勘違いしてたような気がする。
動物の言葉をわかったふりして誤解し続けて怒る人間は見たことがない。
しかし何故か、人の言葉にだけ、反応し、怒る人間がいる。
そしてまた、僕もその中の一人。
そしてまた、独りぼっちのかけちがった電話。
もう一度、自分だけの幻聴に耳をすませたいと驚く。
振動する、波長が語る、幻覚が述べる。
もういちど、赤ん坊の言葉を取り戻す事ができたのなら、
そのとき僕等は、おどろくほど、あたらしい言葉を手にするだろう。
書き言葉と話し言葉の強制的な一致圧力というのが浸透してるような気がする。
「その言葉の使い方は間違ってる」とか
「その字は違う」とか
「その言葉はそんな意味じゃない」とか
基本的には「正しい日本語を使え。」という大人、もしくは教育的圧力なのだけれども。
基本的に、話し言葉と書き言葉はルーツの違うものであったのだと思う。
もちろん、歴史的事実について調べれば色々と情報は出てくるのだが
僕はその頃のことをよくしらんので
「説得力を持った仮説」程度にしか捉えていない。
そもそも何が問題かと言うと
言葉によるコミュニケーションが図れないというのは
主に正確な同期をとることができず、
社会という巨大な集団の中で歯車が回らないという
いたって人類的な圧力の中にあって
それは正直さというものがある種の記号の中においては
必ず嘘として表出するということでもある。
もしも、全ての人間が全く違う言葉を話し、
全員が自閉症だったらどうかと考えると、
それはなかなかにおもしろおかしく、おそろしいせかいで
じつのところ、うまく想像ができない。
それは多分、「人間」というものの喪失であって
人が個性を取り戻すことにはならない。
今、人類にとって大事な事が平和だと説く人間が居ても、
僕はその人間を信用しない。
そしてまた、人類が存続するために戦争は必ず必要なんだと叫ぶ輩が居たとしても、
僕は傍観者のようにアホらしく眺めるだけだと思う。
問題はイメージにあって、
戦争は簡単に過去の映像データからイメージすることができるけれど、
平和は見たことがないのであまりにもバラバラな幻想でありすぎること。
そしてまた、自由という名の、恐怖によって提出されたバンガドームが
ある種のセンチメンタリズムの中でパラノイアとして、
プロパガンダとして、白旗として、
精気を失った人間を串刺しにするからである。
なぜなら。
ひとりのにんげんがこきゅうによってはっせいさせる音は
それぞれの異なる空間位置から共鳴的に発せられ、
ふたりのにんげんがこきゅうによっておどりくるう会話は
それぞれの異なる意味で生まれつきずっと誤解され続けてきたからである。
僕はこのことを、ずいぶんと長い間、孤独とか、精神性とか、心の問題と勘違いしてたような気がする。
動物の言葉をわかったふりして誤解し続けて怒る人間は見たことがない。
しかし何故か、人の言葉にだけ、反応し、怒る人間がいる。
そしてまた、僕もその中の一人。
そしてまた、独りぼっちのかけちがった電話。
もう一度、自分だけの幻聴に耳をすませたいと驚く。
振動する、波長が語る、幻覚が述べる。
もういちど、赤ん坊の言葉を取り戻す事ができたのなら、
そのとき僕等は、おどろくほど、あたらしい言葉を手にするだろう。