嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

生かされた世界にある、嘆きの砦。

2006年11月25日 13時27分39秒 | 駄文(詩とは呼べない)
気の遠くなるようなコンプレックスとの戦いが、僕をズタズタにしてゆく。
それでもまだ、僕は僕を蔑む、ひとつの目線から、まだ抜け出せない。
そしてまた、僕は僕を見つめずして、どうやってこの世界と向き合っていいのかもよくわからない。

明日が来ることは、正直いつだって怖い。
だけど明日が来ない限り、僕が救われることもまたないのだと語りかける何かがある。
そうやって、僕の風景はいつだって僕に向けて風を吹かす
目に見えない今日をつかみ取れと嘆く手だとか、
地に足がつかずにぐるぐる迷い続ける足だとか、
どこを見回しても遠くに感じられる目だとか、
何も言い当てることが決してできない言語だとか、
そういったものは、全部僕の周りをぐるぐるまわって、
僕を包囲していく。

けれど決して、僕に触れることはない。
何も触れていないのに、痛みだけを叫び続ける自分がいる。
いわばこの世界は被害妄想の固まりなのだ。
自分の作り出した世界に自分が怯え、
自分の見た夢に裏切られ自分が泣く、
ただそうした迷路の断片的な組み合わせに過ぎないのだ。

だとしても、僕のこころをぽっかりと濡らすような
心の涙に似た水を、とてもとても透明にわびぬれた水を、
僕は乾きとともに求める。

まるで誰も信用しないことが友情であると定義するかのように。

明日、あしただけを手がかりにして
今日、きょうだけを組み立てて
今、いまだけを世界だと信じて

信じて、信じて信じてしんじて
そして裏切られるのが心。

だから僕は何も信じない。
だから僕は何も見ない。
だから僕は何も望まない。

そして僕は死ぬ。
だから僕は死ぬ。
そして僕は死ぬ。
いつだって僕は死ぬ。
いつでも僕は死ぬ。

僕に似た欠片は、踏みつぶすたびに、踏みつぶされたと記憶する。
生命に似た輝きは、純白に似た叫びで、

「汚された」
「汚された。」
「汚された!」

と、叫びを強くしてゆく

あらゆる嘆きが、
僕の中でえんえんとこだまする。

僕はただ、世界の方を指さして罪に怯える。
誰かが来ることを怖がる。
なにかが触れることを、痛がる。

正直に言えば、永遠なんてどうだっていい。
ただ、現実は痛いから。とてつもなく痛いから。
今だけでいいと、何も要らないから、、ずっと止まった今だけがいいと、
そうやって自分自身に嘘を吐くように騙りかける

道は、進めば進むほど閉ざされる。
可能性と同じ数の道は、生きれば生きるほど閉ざされる。
そしてまた、ありもしない可能性にすがって、
僕は僕の周りにある選択を拒む。

何も求めない。
何も選ばない。
世界は全て、誰かのせいで回ってる。

僕が回した事は一度も無いと、無力な僕は知り続けるから。

ひとつだけ、
ひとつだけ選べるはずだって、
何度も自分を説得するように思い込む。

僕は死ねるって。
僕は死ぬって。

自殺こそが、僕の意志だって。

けれどそれは、いつも妥協や諦めに似た色の何かで、
よごれと呼ばれる何かで、
誰かの色で、
そめられてゆく。

あの青い空を、本当に青いかどうか、自信が持てないように。

本当の世界が僕の中にしか無いように、
この世界は、嘘の嘆きを、毎日続けてゆく。
僕が僕の死を、選び取れる権力を持つまで。